だから僕は海外に出る、さあ君も

「日本って何か変だなぁ」という疑問を胸に、思い切って海外脱出した著者が、海外からの視点で日本の社会問題や海外脱出アドバイスを綴るブログ。日本の奴隷的な長時間労働にうんざりしている人、ナショナリズム台頭・人口減・財政難の日本の行く末を危惧している人、協調性という名の同調圧力に耐えられない人、とにかく自分の殻を破ろうと思っている人、そんなあなたに『海外に出ること』を選択肢の1つとして提案する。

だから僕は海外に出る、さあ君も - ニートのガラパゴス日本脱出日記

ガラパゴス化している日本の奴隷的な労働環境と保守的な社会構造に適応できずに海外脱出したニートが海外視点で綴るブログ

仕事なんかクソだろ? 就活やめて日本を出よう! 奴隷やめて海外に出よう! 語学を学び世界に出よう! 「仕事なんてクソだろ」が売り文句の「ニートの海外就職日記」に影響を受けた、あるニートのブログ

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「スマホやめますか」に反発する情報強者気取りの情報弱者たち

「スマホやめますか、信大生やめますか」—信州大学学長の入学式の挨拶が波紋を広げている。

「スマホやめますか、それとも信大生やめますか」

新聞に掲載された「スマホやめるか、大学やめますか」という見出しはかなり強烈だ。それだけ見れば、「スマホなんて百害あって一利なし、スマホやめてオールドメディアを重視しろ」と言っているように取れ、ネットユーザーが「時代錯誤だ」と反発するのもうなずける。しかし、学長が言いたいことは、全文を読めば分かる。見出しや記事だけで脊髄反射で反発するということ自体、表面だけをなめて中枢に迫ろうとしない典型的なスマホ脳と言える

全文を読んでも分からないのあれば、単に国語読解力が低いと言わざるを得ない。

以前のエントリーでも書いたが、ネット(スマホ)には「活用」と「消耗」の2種類がある

ネット(スマホ)を有効に活用している例

ネットをフル活用して、資金を集め起業したり、収益化したり、あるいは業務に活用したりしているケースは、言わずもがななので、身近な例を取り上げてみよう。

ケース1:

昼食は、友達と一緒に楽しみながら取る。会話の途中で、「これってどういう意味かな?」「今度の週末さあ、○○に行かない?でも混雑とかどうなんだろ?」と切り出され、スマホ(タブレット)を取り出し、さっと検索。用が終われば、スマホは手元に置き、元の会話に戻る。

夕食後は、30分から1時間程度、PC(ブラウザ)を使い、SNS・話題の動画やいつも見ているサイトをチェック。1時間後にはPC(ブラウザ)を閉じる。その後は、音楽を聴いてリラックスしながら、読書する。あるいは、英語や学校の勉強をする。分からない言葉が出てきたら、そのつどスマホで調べる。ついでだからといってSNS・BBSやポータルサイトは見ない。

消灯後は、スマホでアラームをセットしたら、それ以上は触らない。

ケース2:

「最近太ってきたなぁ。体重も増えてるし。卒業後はデスクワークばかりでスポーツしてないからなぁ。中高生時代は部活でサッカーに夢中になってたから、久しぶりにやってみるか」と思い立ち、住んでいる自治体のサイトにアクセス。サイト内の「市民向け情報」のページを開き、大人向けのサークルを探してみる。気になるものを見つけたら、さっそくコンタクトを取ってみる。

日によっては、ネットの利用時間が多くなることもあるが、全体的にはメリハリをつけてネットを使っているケースを想定している。

ネットで消耗している例

次に、ネットで消耗している例を挙げてみよう。

昼食は、向かいが壁の「ぼっち席」に座って、スマホを片手に食べる。*1 *2 ほぼ毎日こうである。「SNSには友達が1,000人いるぜ」といったところで、リアルでは一緒に昼食を取る人がいない。10メートル以内にいるかもしれない気が合う人とより、1,000キロも離れた見ず知らずの人との議論にいそしむ。それで「リア充がー」と言っているのであれば、非常に滑稽である。

夕食後はすぐに自室に戻り、日付が変わるまでひたすらネット。「そろそろ寝るか」と布団に入り、消灯した後も布団の中でスマホ。1時間ぐらいしてようやくスマホをやめる。(翌日が休みの場合は、明け方近くまでネットに夢中になっている)

何かに取り憑かれたかのように、暇さえあれば、スマホやPCとにらめっこして、ネットに没入している。「ネットはすごい!最高!」と言いながら、そのすごいネットでしていることが全然大したことじゃない

掲示板でどこの誰とも知らぬ相手と議論(という名の馴れ合い・罵倒合戦・揚げ足の取り合い)したり、Facebookで交流(という名のリア充自慢・見栄の張り合い・背伸び合戦)したり、正義の味方気取りで人様のSNSを炎上(という名のリンチ・憂さ晴らし)させたり、Twitterで延々と愚痴をこぼしたり、無尽蔵にある動画を見入っていたりしている。

権威ある大学教授が書いた専門書、有名な作家が書いた小説、ジャーナリストが綿密な取材と調査の末に書いた記事より、どこの馬の骨が書いたか分からない信憑性の怪しいサイトやコメントを斜め読みした程度で、世の中のことを理解したつもりになり、情報強者を気取る

こういう使い方が、ネットで消耗している典型例である。やめられないなら「ネット依存症」かもしれない。*3 *4

私のブログも「どこの馬の骨が書いたか分からないサイト」である。だからこそ、鵜呑みにせず、多種多様な本を読み、たくさんの人とふれあい、自身の目で見て経験してほしいと思う。

僕らはまだ、世界を1ミリも知らない

僕らはまだ、世界を1ミリも知らない

リアルを軽視することは、64kbpsのMP3の劣化音源で満足するのと一緒

ネットに過度に依存して、リアルを軽視している人は、64kbpsの圧縮された音源(CDの約20分の1)で満足している人と同じだと思う。安いイヤホンを耳に、騒音が飛び交う街中や電車内で聴くかぎり、64kbpsでも十分かもしれない。しかし、静かな場所で、専門のオーディオ機器で聴くと、音の劣化ははっきり分かる。

人間の脳は、私たちが思っている以上に性能が高い。誰かとコミュニケーションを取っているとき、相手の言っていることだけでなく、相手の表情、声のトーンやピッチ、ジェスチャー、周りの環境(風・騒音・温度・匂い・触感など)も無意識のうちに認識している。例えば、風が強く肌寒い日に、道路工事の音を耳にしながら、カフェでコーヒーを飲んでいたときに強い地震が来たとしよう。次に同じように、風が強く肌寒い日に、道路工事の音を耳にしながら、カフェでコーヒーを飲んでいたとすれば、「あぁ、あの時に…」とふと思い出す。デジャブと呼ばれるものだ。

ネット上のコミュニケーションは、圧縮音源のように、相手が「言っていること」(話を単純にテキスト化したもの)以外の要素をばっさり切り落としている。スタンプや顔文字があるといっても、そららはリアルを完全に補えるものではない。

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

「ネットリアルバランス」を取り、真の情報強者になろう

私は、何も「ネット=悪」と決めつけているわけではない。私自身、ネット歴が長い方(前世紀から)であり、ネットのメリット・デメリットを含めた特性をよく分かっている。

私のブログで常々言っている、ワークライフバランスが大切なように、オンラインとオフラインの双方の利点を理解し、それらをバランスよく使い分ける「ネットリアルバランス」が大切であると思っている。

自称・情報強者

自分こそ情報強者と信じ込み、ネットに否定的な人を「情弱」と蔑んだり、既存メディアをマスゴミと罵ったりする。「井の中の蛙大海を知らず」の蛙になっていることに気づいていない。(井ではなく壺、それもたこ壺といった方が適切かもしれない)

自称・情報強者

真の情報強者

ネットの良さ悪さを知り、過度に依存しない。ネットは、目的を達するための便利な道具という位置づけ。

真の情報強者

あなたは、上の図の「自称・情報強者」の方になっていやしないだろうか?

ネットを礼賛しているネット至上主義の人からすれば、信州大の学長の話も、このエントリーも耳に障るかもしれない。

最後に、アルバート・アインシュタインが言ったことを引用しよう。

アルバート・アインシュタインの警句

私は、テクノロジーが人間の交流を超える日を恐れている。世界は愚かな世代で満たされるようになるだろう。
アルバート・アインシュタイン

以下の本は、ネットのヘビーユーザーであり、ネットニュースの編集者である著者が、ネットについて記したものである。私も、彼の考え方にはおおむね同意する。

ウェブを炎上させるイタい人たち-面妖なネット原理主義者の「いなし方」 (宝島社新書 307)

ウェブを炎上させるイタい人たち-面妖なネット原理主義者の「いなし方」 (宝島社新書 307)

「リア充爆発しろ」って言うけど、本当はリア充になりたいんでしょ!?

非リア充を自認する人に向けて書いた、耳が痛くなるかもしれないエントリー。

「リア充爆発しろ」……ネットでよく見かけるフレーズだ。Googleの検索語入力欄で「リア充」と入れると、サジェスト機能が「爆発しろ」「死ね」といった穏やかではないキーワードを出してくる。

「リア充」の検索サジェスト

リア充」の定義

そもそもリア充とは、どういう意味なのだろうか?新語に強い大辞林から引用してみよう。

リアじゅう【リア充】
ネット利用者が使う俗語で,現実(リアル)の生活が充実している様子。またその人。ネット生活が充実している一方,仕事・生活・恋愛などに充実感のない人が多く用いる。文脈により嫉妬・羨望・自虐・揶揄・冗談などのニュアンスを伴う。「―には分からんだろ」⇔ネト充
スーパー大辞林3.0©Sanseido Co.,Ltd. 2010

これが権威ある大辞典における「リア充」の定義である。

それは分かった。だけど、なぜリア充が爆発しなきゃいけないんだ?「死ね」ってリア充がいったい何をしたの?リア充に殴られたのか?いや、そんなはずはない。

家族リア充は、誰かに迷惑をかけているのではないのだから、スルーすればいいじゃないか。でも、スルーできないということは、羨望しているのではないだろうか?本当は、あなたもリア充になりたいのではないだろうか?

友達と飲みに行ったり、遊びに行ったり、上司から褒められたり、恋愛したり、結婚したりして、リアルを充実させたいというのが本音じゃないだろうか?

実際、楽しいわけだから。

「人間関係が煩わしい」「恋愛すると自由がなくなる」「お金がもったいない」という声もあるが、リア充云々と言っている人が言っても、強がりにしか聞こえない。

なぜ、リア充になれない、いや、なれなかったのだろうか?

嫌なことから逃げて逃げて逃げまくって

人生には幾度と「ここ一番」という時がある。

  • 部活・サークルは、運動部にするか、文化部にするか、それとも入らないか。
  • 学業で、スランプに陥ったり、誘惑に負けそうになったりしたとき、あきらめず勉強して志望校合格を目指すか、それとも志望校のランクを下げるか。
  • 好きな人を勇気を持ってデートに誘うか、それとも断られることを恐れてやめておくか。

などなどだ。

ベターな方より楽な方を選んだ、嫌な決断を先送りした、勇気が足りなかった、意志が弱かった、他人の声を軽んじた、そういったことの繰り返しで、人生はどんどん悪い方に傾いていく

気が付けば非リア充

そして、気が付いたら、ネット漬けの毎日を送っていて、

「リア充爆発しろ」と自分より幸せそうな者を妬み、自分より下と見なした者を差別したり蔑視したりすることで、優越感に浸り、自尊心をかろうじて保っている…。

という自分がいる。これが非リア充の現実ではないだろうか。

暇さえあれば、動画サイトに張り付いたり、掲示板やSNSで「リア充がー」「在日がー」「バレンタイン粉砕!」「近頃の女は…」「最近の男は…」などという書き込みを繰り返したりしても、自分が非リアでなくなるわけではない。

リア充ライフが満喫できるのは若いうちだけ

非リア充が、リア充になれるのは、基本的に若いうちだけであると思う。老いれば老いるほど、難しくなっていく。

海外に行くにも、ワーホリには年齢制限がある。日本にいるにしても、同世代の友達は、みんな結婚していく。どれだけ仲が良くても、結婚すると会う機会がめっきり減る。新しい友達を作るにも、一世代も年が離れた人と友達になるのは容易なことではない。(年代による階層化が進んでいる日本ではなおさら)

若ければ、平日の昼間に私服で繁華街を歩いていると、キャッチから「学生さん?」と声をかけられる。しかし、歳を取ると、声をかけてくるのは、警察官になる。目的は職質である。*1 住宅街を歩いていたら、それだけで不審者扱いされる。*2

さらに、歳を取れば、体力も精神力も衰えてくる。

恋愛しようにも、対象から外されやすくなる。

その結果、ますますネットに籠もりがちになる。

子供の頃のあなたが、今のあなたを見たとしてどう思うだろうか?

「どうせオレなんて……」「ボクなんかと付き合ったら……」「格差社会なんだから、しょうがないだろ」「海外なんて無理。英語もできないし……」という声もあるのは百も承知だ。

想像力を働かせてみてほしい。まだ小さい子供だった頃のあなたが、今のあなたを見たと仮定して、どう思うだろうか? 何て言うだろうか?

きっと、こう言うのではないだろうか—「弱虫!」と。

あなたより学歴が下の人でリア充なんてごまんといる。あなたの同級生で結婚している人もいる。大切な人を突如理不尽に失いながらも、悲しみを乗り越えようとしている人もいる。中東で戦火に怯えながらも必死に生きようとしている人だっている。

  • 非正規雇用が3割を超えたといっても、7割の人は正規雇用。
  • 生涯未婚率が3割を超えるといっても、7割の人は結婚する。
  • 30代男性の25%が異性との交際経験がないといっても、7割超の人は経験している。

だったら7割の仲間入りをすればいいじゃないか。

自分の人生は、自分で切り拓いていくもの。

地球は「行動の星」だから、動かないと何も始まらないんだよ。

地球は「行動の星」だから、動かないと何も始まらないんだよ。

まだネットで消耗してるの?

ネットユーザーネットユーザーは、大きく2種類に分けられる。「ネットで消耗する人」と「ネットを活用する人」である。

ネットで消耗するネット依存症の人たち

「ネットで消耗する人」とは、暇さえあれば、ネットに何時間も何時間を費やしながら、そのネットでしていることが大したことでない人たちだ。

例を挙げよう。

  • Youtubeやニコ動で面白い動画を見つけた。見終えたら「こちらもおすすめ」と関連動画や続きが表示される。気付いたら、夜もかなり更けていた。「ドラマの1クール、半日で見終えたよ」とSNSに投稿するような人。
  • 「オレは、はてブや2chまとめのチェックを怠らない情報強者だぜ」と思っている。ライフハックを読んで「これいいわ〜」とタグを付けてブックマークする。気が付けば、ブックマーク数が千を超えていた。そのページを再び開いて、生活や仕事で生かすことはほぼない人。
  • 掲示板で「論破してやったぜ! オレたち大勝利! ガハハ」と勝ち誇っている人。論破といっても、数の多さで押し切ったか、人格攻撃や揚足取りばかりで相手が嫌になって退散しただけのケースが多い。
  • 被害者でもないのに、おふざけが過ぎた他人のブログやSNSを炎上させて、それが正義だと思い込んでいるイタい人。挙げ句の果てに、スポンサーや取引先まで抗議する迷惑な人。
  • 普通に話せば10分で終わるような会話を、1行+スタンプで1時間をかけてやり取り。既読スルー(KS)されるのを恐れ、止めどきが分からず、1日5時間も6時間も過ごす人。
  • 学歴でも国籍でも恋愛経験でも何でもいいので、とにかく自分たちより下の者を見つけ出しては、彼らを軽蔑・嘲笑することで、独り善がりな優越感に浸っている人。
  • 日本に少しでも批判的な人に対して、「反日」「左翼」「売国奴」と執拗にバッシングする自称「愛国者」の人。
  • 人口減・格差・貧困・財政赤字などの日本に悲観的なニュースに、「日本もうだめだー」「政治家は何やってんだよ」「○○すべきだよ」と嘆きながら、ネット上での発言に終始し、自らは行動を起こそうとしない人。
  • 匿名掲示板で、「平成生まれが知らないものを挙げていくスレ」「マクドナルドの新商品が旨すぎる件について」といった書き込みを延々としている人。
  • クリスマスやバレンタインの度に「リア充爆発しろ」「バレンタイン終了」などと怨嗟の声を上げるけど、積極的にパートナーを見つけようとしない人。

……きりがないので、このぐらいにしておこう。

今ウェブは退化中ですが、何か? クリック無間地獄に落ちた人々 (講談社BIZ)

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ネットで消耗している人は、自分の人生も消耗している

ここで挙げたようなネットの使い方は、さほど生産的ではない。もちろん、人間は常に生産的なことばかりしているわけではない。たまには息抜きが必要だ。それを含めても、こういうことに非常に多くの時間を費やしている人を見ていると、「消耗しているなぁ」と思わずにはいられない。

私は、ネットで消耗している人たちは、

先週も、先月も、昨年も、5年前も、今と同じように、パソコン・スマホの前で消耗していたことだろう。

来週も、来月も、来年も、5年後も、今と同じように、パソコン・スマホの前で消耗していることだろう。

と思う。その結果、減ったのは自分の残り寿命と髪の毛とお金、増えたのは脂肪と小じわと白髪だけ。

パソコンやスマホのバッテリーは、充電すれば回復するが、人生の時間は回復しない。まさに消耗である。

消耗しないために

「あ、オレのことだ」と思った人は、時間の過ごし方をちょっとだけ見直してみようよ。

私は、なにも「ネットは時間の無駄だからやめよう」と言っているわけではない。使い方と時間にメリハリを付けて「ネットを活用する人」になろうと言っているのである。

プライベート時間の過ごし方なら、もっと有意義で健康的なことがいくらでもある。

例えば、

  • 読書をする (薄っぺらいネット情報では得られない情報の宝庫)
  • 映画鑑賞をする (有名作品だけでなく、インディーズ系の隠れた名作を探す)
  • スポーツをする (地元のスポーツサークルに参加してみる)
  • 芸術的なことをする (スケッチ、楽器演奏、ミュージアム巡りなど)
  • 勉強する (受験勉強ではなく、深い教養を身につけるための勉強)
  • 語学を学ぶ (英語を身につけることで新しい世界が開ける)
  • より高度なIT活用に挑戦してみる (Photoshopを覚える、プログラミングに挑戦)
  • ボランティアをする
  • 日帰りぶらり旅や貧乏旅行をしてみる (LCC・格安バス・18きっぷを使えば安く済む)
  • 習いごとを始める
  • 恋愛する

といった具合だ。

その過程においてネットを使うことは何ら問題ない。パートナーを見つけるために信頼ある出会い系サイトを使う、スポーツするために地元のサークルをネットで探してみる、アイディアを形にするためにクラウドファンディングを使う、旅行のプランを立てるために時刻表を検索する—こういった使い方こそが「ネットを活用している」と言えるだろう。

「一日一日を大切にしよう」といった格言をシェアしながら、毎日ネットで消耗して過ごしている日々は、今日でピリオドを打とう。

僕らはまだ、世界を1ミリも知らない

僕らはまだ、世界を1ミリも知らない

ドラえもんの「のび太」よりダメな、大人になりきれない大人たち

「ドラえもん」に出てくる「のび太」といえば、基本的には典型的なダメ人間だ。自助努力せず、すぐにドラえもんに泣きつく姿に、不快に思う人も少なくないだろう。今回は、ドラえもんで印象に残っているエピソードがあるので紹介しよう。これらは、今の社会に通じるものがある。

「今」を映すドラえもんのエピソード

①ぼくよりダメなやつがきた (オススメ)

人間誰しもが持つ心の弱さを如実に表現したドラえもん屈指の名エピソードだと思う。以下のリンク先で、原作(コミック)の一部を画像付きで紹介されている。アニメ版はYoutubeを検索すれば見つかるだろう。(のび太のダメさ・のび太の反省と成長・秘密道具・現代社会を生きる私達への教訓を10分に凝縮している) ぜひ見てほしいと思う。

ドラえもん『ぼくよりダメなやつがきた』 | スコシフシギな世界-藤子・F・不二雄ブログ (コミック版から一部抜粋しながら紹介)

のび太のクラスに転校生がやってくる。ところが、その子はのび太より勉強ができず、運動神経も悪い。のび太は大喜びで、一緒に勉強をしては「こんな簡単な問題を間違えて」、かけっこをしては「ボクの方が速いでしょ」と勝ち誇ったように言う。見かねたドラえもんは、「配役いれかえビデオ」という秘密道具を出し、のび太をスネ夫に、転校生をのび太に入れ替えて、のび太が転校生に対して取った行動を録画したビデオを再生する。自分がしていることの酷さに衝撃を受けたのび太は…。

②出木杉グッスリ作戦

のび太・スネ夫とジャイアンの3人が結託して、勉強もスポーツも万能で女子にモテる優等生の出木杉に嫉妬し、宿題を忘れさせようと奮闘する。

③どくさいスイッチ

野球でヘマをして負けたのび太は、ジャイアンにしごかれそうになる。特訓を嫌がり、「ジャイアンさえいなければ」と言い出すのび太に、ドラえもんは「どくさいスイッチ」という自分に批判的な人間をボタン1つで消せる秘密道具を出す。最後はのび太1人になってしまう。

※安倍晋三首相のFBに批判的なコメントをするとブロックされるらしい。クリック1つで、実名の人の言論を封殺する様は、「どくさいスイッチ」を使うのび太を彷彿とさせる。*1*2

これらのエピソードを見て、のび太の身勝手な振る舞いに不快感を覚えた人も少なくないだろう。

大人になるってこういうこと

ドラえもんの主要登場人物3人の特徴をまとめると以下の通りだ。

  • のび太…勉強も運動もダメ。怠け者でお調子者。
  • スネ夫…マザコンのお金持ち。自慢するだけしては、のび太を仲間はずれにする。
  • ジャイアン…ガキ大将。同級生の漫画やおもちゃを取り上げる、誰も聴きたくない自分のコンサートのチケットを押し売りする。

マンガにありがちなステレオタイプとはいえ、現実にいれば、好かれるタイプではない。常に他力本願の者や、力や富を振りかざすことでしか己を満たせない者を、友人として遇する人は少ないであろう。

作中において彼らは小学生であるが、大人になった彼らが登場するエピソードもいくつか存在する。その1つが『のび太の結婚前夜』である。副題の通り、のび太の結婚前夜を描いたものだ。

この中でも、のび太のドジっぷり、ジャイアンの音痴っぶりは健在である。しかし、ジャイアンが歌い出して「やめろー!下手くそ」と冗談交じりに言われて、暴力を振るうかつてのジャイアンの姿はそこにはない。

小学生時代からのび太を知っているであろうしずかの父は、「あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことができる。それが人間にとって一番大切なことなんだよ」と言うシーンがある。これは、のび太が、体だけでなく、精神的にも大人になったということを暗示している。のび太だけでなく、ジャイアンやスネ夫もそうだろう。

「大人になる」って、こういうことなのではないだろうか。—人の立場に立って物事を考えられるようになること—人の痛みがわかるようになること。

想像力が欠如した大人たち

しかし、現実には、先の3つのエピソードにおけるのび太のような大人が少なくない。

例えば、ネットの掲示板では

  • 異性との性行為の経験がある者は、ない者を「童貞のくせに」と蔑む。
  • 偏差値の高い大学を出た者は、低い大学を出た者を「Fランのくせに」と貶める。
  • 単純に大学を出た者は、高卒以下の者を「低学歴が」と見下す。

他にも、アスペ・在日・ブサヨ・ナマポ・DQN・情弱・ヲタク・○○厨などの言葉で、人を侮蔑したり、非難したりする。

何もネットの中だけに限ったことではない。実社会では、ヘイトスピーチをしたり、マナーを咎められて逆ギレしたり、店員に高圧的な態度で接したり*3、職場でパワハラ*4やマタハラ*5をしたりする人が少なくない。

社会的成功を収めている者や、自分より幸せそうな者を、嫉み、足を引っ張る。逆に、自分より下と見なした者に対しては、嘲笑し、軽蔑し、虐げる。そして、自分に都合の悪いことは、耳を塞ぎ、拒絶する。

これらの根底にあるものは、「自分が相手の立場だったら…」という想像力の欠如ではないか。もちろん、心の奥底でそういう感情を抱いてしまうのは、人間である以上仕方ないことなのかもしれない。しかし、それを表に出して実際の行動に移してしまうのは、良識ある大人の取る行動ではない。

人の振り見て我が振り直せ

自分が劣等感を抱くなら、その悔しさをバネに、自身を高める方向に向ければよいではないか。自分より優れているものは素直に賞賛し、下手の者には手を差し伸べる度量が欲しいものだ。他人に八つ当たりしたところで、自分自身の境遇が変わるわけではないのだから。

「人の振り見て我が振り直せ」ということわざがあるが、今回取り上げたエピソードからは、故・藤子・F・不二雄が「のび太の振り見て我が振り直せ」と、私を含む現代人に語りかけているかのようだ。

※注意されて「そういうお前だって…」と相手のあら探しを始めた時点で、自分自身から目を背けていることに気付くべきだろう。

呪いの時代

呪いの時代

ヤフーとCCCのデータ共有—ビッグデータ活用の説明不足がプライバシー懸念を助長する

ヤフーとCCC(TSUTAYAのTカードを発行会社)が、お互いに保有している利用者の行動情報の共有を発表し、波紋を広げている。当初はIT系ニュースサイトだけで取り上げられたが、NHKや新聞でも報じられた。

ヤフー Tポイントデータ共有 専門家は (NHKニュース)

利用者への十分な説明をしないことが不信感に繋がっている

ビッグデータとプライバシー以前、JR東日本がSuicaの利用履歴を、個人を特定できない形で販売することが報じられ、利用者の反発を買って先送りにされた。*1 また、大阪駅では、カメラを使った顔認識による追跡実験が、利用者の反発から先送りされた。*2 このままだと、ヤフーとCCCは、同じ轍を踏むことになる。

ニュースでも取り上げられているが、一番大切なことは「利用者への十分な説明」に他ならない。しかしながら、現状では、十分な説明がなされているとは言えない。ほとんどの人が読まない利用規約*3やプライバシーポリシーの中に、分かりにくい文言で書かれているのが実情である。*4

ビッグデータとプライバシーのあり方が大きくクローズアップされている今、なぜ、ビッグデータを活用しようとする企業は、利用者への分かりやすい説明に消極的なのだろうか?

おそらく「利用者がビッグデータについて知れば、多くは拒絶反応を示すのではないか。その結果、拒否する人が増え、ビッグデータが活用しにくくなってしまう」というのが理由ではないだろうか。冒頭で挙げたSuicaや大阪駅の前例を見ていると、そう考えるのも想像に難くない。

しかし、十分な説明責任を果たさないことが、利用者の不信感を募らせていることに気付くべきだろう。

墓穴を掘るヤフー

ヤフーは、ビッグデータの活用に非常に積極的である。

「日本がビッグデータ後進国になってもいいのか」ヤフーが警鐘を鳴らす理由 (ハフィントン・ポスト)

ヤフーは、プレゼンテーション資料の中で、「プライバシーフリーク」という言葉を使っている。フリーク(freak)とは「○○狂」を表す言葉で、このような公式な場で使うには不適切な言葉だ。

また、記事中で、ヤフーは次のようにも言っている。

お客様も慣れていくと思う。だが、そもそも“気持ち悪い”と思われる広告自体、失敗している。広告主にとって意味がない。(それをヤフーが望むわけもないので)全体としてお客様の利便性は上がるはず。

しかし、慣れの問題ではない。「習うより慣れよ」ではなく、「慣れるより習え」である。多くの利用者は、利用者の不安をなおざりにして、理念先行で利用者への告知が不十分なまま進めようとしている企業のやり方に、気持ち悪さを感じているのである。

利用者の反発がさらに高まれば、「ビッグデータの活用=企業による金儲けのための監視・盗聴・ストーキング行為」とレッテルが貼られ、法規制への気運も一気に高まる。そうなれば、ヤフーが懸念しているような「ビッグデータ後進国」になってしまう。自分の墓穴を掘っていることに気付くべきではないだろうか。

ビッグデータの活用はそれぞれの利用者の判断にゆだねよう

ビッグデータを活用するならば、利用者に十分な説明をすることだ。今回のヤフーとCCCの事例を例に取ると、ヤフーは、Tカード連携登録の際に表示されるページで、

「当社の保有するお客様のWEB閲覧情報と、CCC社の保有する商品の購入履歴を共有します。お客様にとってのメリットは…。情報共有を希望されない場合は、…でいつでも簡単に拒否設定できます」

といったように、図説で分かりやすく説明すればよい。CCCは、情報共有について分かりやすく説明したパンフレットを店頭で用意すればよい。情報共有を望まない利用者は、スマホアプリ内からのリンクや、パンフレット記載のアドレス先のページで、簡単に拒否設定できるようにすればよいだろう。

※実際のところ、CCCはやる気はないようだが。

CCCのオプトアウト窓口は、T会員の利用規約からFAQを経て、問い合わせフォームに自由記述で文字を入れて送信し、ようやく専用フォームに到達できる。

記者の眼 - ヤフーとCCCのポリシー改正と、個人情報保護法改正の行方を展望する:ITpro

こういった十分な説明をした上での利用者の反応は、

「どれだけポイントやお得なクーポンがもらえても絶対イヤ!」
「自分に合った情報が向こうから来るなんて便利!」

と分かれるであろう。

企業に対して、どこまでプライバシーに関わる情報の使用を認めるのか、各利用者の判断にゆだねればよいではないか。その上で、「利用者が得られるメリット(お得なクーポンやポイント還元など)の方が、プライバシーの懸念より大きい」と利用者が判断すれば、多くの利用者が納得して、ビッグデータの活用に同意する。そうすれば、今回のように否定的なニュアンスでニュースに取り上げられ、慌てて見送ることもなくなる。

もっとも、私たちサービスを利用する側も、高度情報社会を渡り歩くリテラシーを高める必要があるのは言うまでもない。

第五の権力---Googleには見えている未来

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スマホだけでPCを使わない人へのPCのススメ—海外脱出の第一歩

あなたは今、どの端末でこのブログを読んでいるだろうか?PC(パソコン)、スマホ、タブレット、それともガラケー?この記事では、ネット利用は、専らケータイ(スマホ含む)だけという人向けに、PCが使えることの利点を書く。

※普段からPCを使っている人(特にはてなを使っているような比較的ITリテラシーが高い人)には、「何を今さら…」な記事であり、特に目新しいことはない。日本のネットユーザーの半数は、ケータイ利用者という状況を鑑みて、PC利用のメリットを書いた記事である。

スマホだけ vs スマホ+パソコン

パソコン操作「ネットはよく使うけど、スマホばかりで、PCはほとんど使わないよ」という人は、是非とも最低限のPCスキルを習得して、ネット利用の主体にすることを考えてほしい。自宅ではPC、外出中はスマホという使い分けが、非常に効率的であると私は思っている。あなたが、海外脱出を画策していたり、語学や専門知識を習得を試みていたりするならなおさらである。

私が考える、PC主体のネット利用をすることのメリットは、以下の2つである。

①ネット利用の効率が格段に上がる

PCがスマホと比べて勝っている点は、画面が非常に広く、物理キーボードが使えることである。この差は、あなたが思っている以上に大きい。

スマホの場合、頻繁に画面を切り替えたり、拡大縮小をしたりする必要があるが、大画面のPCではその回数はぐっと少なくなる。スマホでWEB閲覧をしている場合、それらの操作が煩わしくなって、役立つ関連情報や重要な補足情報を見逃してしまうこともある。

PCでは、物理キーボードで文字入力でき、マウスやタッチパッドなどのポインティングデバイスを使うことで細かい操作ができる。これは、PCならではの大きな利点だ。正確なタッチタイピングを覚えれば、スマホよりかなり速く文字入力できる。マウスやタッチパッドなどを使うことで、スマホでは誤タッチしてしまいそうな小さいアイコンや文字も正確に選択する操作ができる。

「若者はパソコンよりケータイのほうが速く打てる」は大嘘だよね? - 狐の王国

スマホであれば、1時間かかることが、PCであれば10分で済んでしまうこともある。これは、限りある時間の有効活用に繋がる。

②今のネットはまだPCからの利用に最適化されている

ネットは、PCからアクセスされることを前提に作られている。今でこそスマホに最適化されたサイトや、専用アプリも珍しくないが、全体から見ればまだまだ少数だ。アクセス数を稼ぐ必要がある商用サイトをのぞけば、スマホ専用のページを用意しているサイトは少ない。

そのサイトがスマホに最適化されていればいいが、そうでなければPC用のサイトをスマホを開くことになる。スマホでもPC向けのサイトが見られるといっても、完全ではない。

PC手に入れたらまずはタッチタイピングの習得

PCを手に入れて最初にすることは、両手の5本指を使った正確なタッチタイピングの習得である。


Truly Ergonomic typing demo - YouTube

タッチタイピング練習ソフトを使えば、1日10分程度の練習で、1ヵ月後にはかなり上達している。文字入力速度の向上は、ネット利用の効率を大幅に上げる。文字入力にキーボードを見てしまう人、入力に指5本を使わない我流の人は、ぜひともタッチタイピングを最初にマスターして欲しい。

関連サイト イータイピング | e-typing ローマ字タイピング - タイピング練習やタイピングレベルのチェック

上記サイトで実力チェックの結果、私は上級レベル(300WPM)だった。私も最初は我流だったけど、タイピング練習ソフトを使って、タッチタイピングをマスターした。

市販ソフトの場合は、下記「キーボードマスター」(Windows/Mac両対応)をおすすめする。Windows版はダウンロード購入も可能。

Keyboard Master Ver.6 ~思考の速さでキーを打つ~

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最近のPCは遅くない

PCを使わない理由の1つに「PCは遅いから」という人もいるだろう。電源ボタンを押して、PCが特有の機械音を出しながら起動し、ブラウザ1つ立ち上げるにも、マウスカーソルが砂時計になってしばらく待たされる—それは、一昔前の話である。最近の機種(SSDを搭載したもの)であれば、遅さは気にならない。電源オフの状態からでも10数秒で起動する。スリープ状態からの復帰であれば、スマホとほとんど変わらない。

PCは難しいという人もいるが、決して難しくはない。「できっこない」と決めつけている自分自身が難しくしている。

PC取得習得は海外脱出の第一歩

このブログは、「(日本の労働環境はクソだ。だから)海外に出ようぜ!」が主旨なので、この記事も海外脱出とは無関係ではない。私は、海外脱出の第一歩は、PCを使えるようになることであると考えている。

海外脱出するなら英語力は絶対必要

英語力を効果的に上げるにはオンライン英会話や学習サイトなどのネットの活用が必要

ネットを効率よく最大限活用するにはスマホだけでなくPCも使えて然るべき

海外脱出のためのビザ申請、あるいは申請のための窓口予約をネットでしなければいけないこともある。(ニュージーランドのワーホリ申請、米国永住権抽選の申し込み、英国ビザの面接予約…etc) 海外で仕事を見つけるための履歴書は、PC作成が当たり前である。

海外脱出に先立って、スカイプによる格安オンライン英会話レッスンを受けるとしよう。それには、PCの方がはるかに効率がよい。ネット上の学習素材もすぐ使える。

私のブログの読者は、海外脱出を考えている人が多いと思う。もし、あなたがスマホだけでネットを利用していて、PCをほとんど使わないなら、この機会にPCも使えるようになってほしい。

※タブレット端末は、まだまだ発展途上という感じが歪めないので、私はPCを薦める。

パソコン入門5冊分! <Windows8.1+インターネット+メール+Word 2013+Excel2013>

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目的のないネットは時間の無駄—ネト充やめてリア充になろう

「酒は飲むとも飲まれるな」ということわざがある。「酒を飲むのは構わないが、飲み過ぎるな」という戒める意味である。同じことがネットも当てはまる。

「手段」としてのネット利用と、「目的」としてのネット利用

ネットの使い方は、大きく分けて2つある。「手段」(道具)としての使い方と、「目的」としての使い方である。

前者は、ネットを目的を達するための一手段として使うことだ。論文のためにWikipediaや辞書サイトで検索したり、旅先で観光名所を調べたり、レストランを探すために食べログで検索したり、本やチケットを買ったり、スポーツ仲間を見つけるために地元のサークルを探したりすることなどがこれにあたる。この手段としてのネットは実に有用である

後者は、各種掲示板やSNSの閲覧・投稿のように、ネットを使うこと自体が目的となっている使い方だ。

目的としてのネット利用は非生産的

暗い部屋でネットする人目的としてのネット利用は、暇つぶしにはなるが、生産的ではない。そういった意味ではテレビやゲームと同じである。しかし、それらと違うのは、ネットは双方向であり、あなたの発言に、リアルタイムで反応が返ってくることだ。「誰かとコミュニケーションを取りたい」という人間の本能的欲求に重なり、依存症に陥りやすい。日常生活に深刻な影響を及ぼすケースもある。そこまでいかなくても、気が付いたらPCやケータイを開いていて、ついつい長ネットしてしまったという場合も多いだろう。

“つながり”から抜け出せない 〜広がるネットコミュニケーション依存〜 (NHKクローズアップ現代)

『ウェブはバカと暇人のもの』

『ウェブはバカと暇人のもの』という本がある。私はこれを読んで、あまりの'Spot on’ぶりに感心してしまった。出版されたのはmixiが旺盛を極めていた2009年だが、この本に書いてあることはそっくり現在にも当てはまる。

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

SNSでは「今日のお昼はラーメン♪」「美味しそう∈^0^∋」「22人が『いいね!』と言っています」という他愛もないやり取りがなされ、匿名掲示板では「お前在日だろ」「ネトウヨうざい」といった辛烈な会話が飛び交い、飲食店のバイトがおバカぶりを自慢してブログを炎上させる様は、今も昔も変わりない。

当人たちにすれば、他愛のない会話も、議論と称したただの罵り合いも、正義の味方気取りのお叱りも、気に入らないブログを集団で押しかけて炎上させるのも、時間が忘れるほど熱中できるものだろう。しかし、それらは生産的でも実用的でも健康的でもない。暇つぶしを超えて長時間するのは時間の無駄であるように思う。

ネットに飲まれないために

BBSやSNSなどの必然性の低いネット利用は、朝晩2回で30分ずつとか、電車での移動中のみとか、昼休みだけとかのようにして、自分で時間を決めよう。それ以外の時は、「○○という言葉の意味をネットで探す」「○○をネット通販で買う」といった明確な目的がない限りネットを使わないようにする。使い終われば、さっさとブラウザを閉じよう。

どうしてもネットから離れられない場合は、子供用のフィルタリングソフトをインストールし、自分自身のために利用時間や利用するサイトを制限することをおすすめする。設定変更に必要なパスワードは、家族や友人に管理してもらうか、リマインダーサービスを使って指定時間に自動的にメール送信されるようにすればよい。

やっぱりネットよりリアルの方が楽しい

携帯電話を使う人たち私が海外に出たときに初めて住んだ家は、ネットがなかった。当時はスマホも一般的ではなかった。そして、ルームメイトに誘われるまま、よく外に出るようになった。

その時に感じたことは、「ネット上のコミュニケーションより、五感をフルに使ったリアルなコミュニケーションの方が100倍楽しい」である。実際、次のような統計もある。

スウェーデンのヨーテボリ大学の研究者らによると、Facebookは、低学歴で低収入な人ほど、使用頻度が高く、1回の利用時間も長い。さらに彼らの大多数が、「幸福感や人生の満足度が低い」と回答した。

低収入&低学歴である人ほどハマってしまう!? 数字で見るFacebookユーザーあれこれ (ロケットニュース24)

日本に限らず、暇さえあれば、ところ構わずケータイと睨めっこする人たちが増えている。ケータイに夢中になっている人は、そのお陰で大切なことを見逃しているのかもしれない。すぐ先に穴があっても気付かないし、素敵な異性があなたを好意を抱いていても気付かない。

携帯操作で気付かず踏切進入?電車にはねられ男性死亡 東京・板橋 (MSN産経ニュース)
スマホを忘れて外出したら、気分はまるでアドベンチャー! (日経BPネット)

ネットは、しょせん道具に過ぎない。ネットを使いこなしても、ネットにのめり込まないようにしよう。

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

自炊業者を訴えるより、一冊でも多くの電子書籍化を進めるべき

客が所有する紙の本を電子化する「自炊代行」が著作権法に違反すると認め、代行業者に差し止めを認めた判決があった。

以前から「ほぼ違法」と言われていただけに、特段の驚きはない。私は、法解釈は別にして、実につまらない裁判だと思う。

自炊代行にニーズがあるのは電子書籍が便利だから

便利な電子書籍海外に住んでいると、このような電子化サービスは、非常に重宝する。大きな街には日系書店があるが、取り扱い冊数が限られている上、価格も日本の書店の倍以上する。Amazonやhontoのように海外発送してくれる通販サイトもあるが、送料が非常に高い。そういうことを考慮すると、電子化サービスは非常に便利である。

ところが、自炊した電子書籍は、使い勝手がよくない。まず、ファイルサイズが大きい。スキャンした本は、文字データではなく画像データの集まりとしてPDF化されるので、ファイルサイズは必然的に巨大になる。Kindleのように、外部メモリカードが使えない端末だと、端末に入れられる冊数も限りがある。また、端末側のモニター解像度が低い場合、拡大しないと字が読みにくい。拡大すると一画面に収まらなくなるため、縦横スクロールが必須だ。さらに、全文検索も使えないし、目次から本文へのリンクもない。

小説のように、最初から読み進めていく本なら何とか使えるが、参考書や辞書のように特定のページを開くことが多い本であれば、使い勝手は非常に悪い。

自炊代行業者から金を徴収するなら、さっさと電子書籍化すべき

出版社と自炊代行業者の間で独自ルールを制定する動きも*1もある。このようなルール作りを目指すということは、出版社側も電子化のニーズを認めているのだろう。電子化が著作権侵害の温床であれば、いくら金を積まれようが絶対に認めないだろうから。

それならば、なぜ、出版社自らが、Kindleなり楽天Koboなりの電子書籍化に踏み切らない?それらには、DRM(デジタル著作権管理システム)が実装されており、自炊されたファイルに比べたら、ネット上に無秩序に出回る恐れは格段に低い。それに、中古本と違い、売れればその分だけ出版社の収益になる。

出版社は、書籍の電子化を、売れ行きや評価の高い本から順次進めていくべきであろう。

しかし、日本では電子書籍は今一つ復旧していないし、その兆しも見えない*2。出版社が書籍の電子化に消極的なのは、街の本屋を守るためなのだろうか?それとも、再販制度という悪しき慣習を守るためなのだろうか?だが、いつまでも既得権にしがみつこうとする日本の慣習が、イノベーションを妨げているということを知るべきであろう。

電子書籍は非常に便利

海外にいる日本人、特に留学生は、その大半が電子辞書を持っている。それは、便利であるからに他ならない。だが、電子辞書に入っているコンテンツは、メーカーが選んだコンテンツだけだ。もし、数多くの書籍が、その形態に応じて適切に電子化されれば、一体どれだけ便利になるだろう。

写真が多い本ならば、Googleの画像検索のように写真だけを一覧表示させるができる。旅行ガイドなら、現在地や地図から該当のページへジャンプさせられる。細かい条件指定ができる全文検索機能が搭載されれば、辞書や参考書の類は、はるかに使いやすくなる。パソコンと連携して、コピー&ペーストで引用ができれば、論文作成の効率ははるかに上がるだろう。

これが教育の現場に行き届けば、十年一日の日本の教育も大きく変わる可能性だってある。

電子書籍が普及するためには、端末が広く行き渡る必要があるし、そのためにはコンテンツ数の充実は欠かせない。コンテンツ数の充実には、出版社が旧態依然な体質を改め、紙の書籍重視から電子書籍重視への大きく舵を切る必要がある。

出版社が電子書籍化を進めれば、わざわざ無駄な裁判を起こさなくても、紙の書籍を電子化するサービスは淘汰されていくだろう。

私は、電子書籍に新時代の息吹を感じる。ところが、それを阻害しているのが、既得権に固執する出版業界であるとすれば、残念でならない。

時代に合った利用者の利にかなった行動を

最後に、アップル社の元CEOである故・スティーブ・ジョブズがiTunes Store発表に際に言ったことを引用しよう。

われわれは違法ダウンロードと戦う。訴えるつもりも、無視するつもりもない。競争するつもりだ。

出版大崩壊 (文春新書)

出版大崩壊 (文春新書)

会社の人と距離を置くためのFacebookの使い方

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就活生の人も、会社勤めの人も、会社の人から一方的にFacebook(FB)の友達申請をされて断るに断れないという人が多いのではないだろうか?望んでもいないのに、会社の人とFBで繋がると、そのとたんに居心地が悪くなる。見られたくもないプライベートな写真を見られたり、イイネを強要されたりとあまりいいことはない。

もし上司からお友達申請されたら…?  8割以上がSNSで「上司とつながりたくない」理由 (ダイヤモンド・オンライン)
その友達申請や「いいね!」が女子を怯えさせる! “ソーハラ上司”が無邪気に切り裂く職場の人間関係 (ダイヤモンド・オンライン)

「Facebookは使っていません」と言い切る

もし、「友達」にしたくない人から、FBの話題を振られたら、FBを使っていないで通すことだ。「いやー、僕(私)はFacebook使ってないんですよ」でOKだ。FBを使っていないと嘘を付いた以上、使っていることはバレないようにしなければならない。

名前を変える

名前を変えるのが一番手軽かつ効果的だ。FBは実名登録が基本だが、実名で使っていない人も2割いる。登録にあたって、本人確認を求められることはない。明らかにニックネームと分かるような名前ではなく、友達にだけ分かる名前にするというのもありだろう。私の周りの外国人の友人も、実名を使っていなかったり、就活の場合は変えたりするといったケースも耳にする。

  • 漢字とカタカナは登録しない
  • ローマ字登録でも読み方や表記法を変えてみたり、わざとスペルミスをしたりする (例:Erika→Erica、Yuki→Hyuki、Joiji→George、Hiroshi→Hirosy)
  • イングリッシュネームにする
  • 旧姓やその頭文字をミドルネームを入れる
  • 下の名前はそのままで名字だけ変更する

※名前の変更は自己責任で行ってください。

個人情報は親しい友達のみに

出身地、現住所、最寄り駅、生年月日、学校名を不特定多数に公開するメリットは少ない。それらは、親しい友達のみに公開する。

FBのIDにも注意するのを忘れないように。FBの自分のページのアドレスは、初期状態では、facebook.com/taro.nippon のようになっている。いくら名前を変えても、この部分がそのままでは、このIDから見つかってしまう可能性がある。

登録に使うメールアドレスは使い分ける

メールアドレスを複数持ち、友達・家族用、ネット通販用、就活用、メルマガ用などと使い分けよう。Gmailの場合、メールアドレスの@より前の部分に"+好きな英数字"を付けても、特別な設定なく受信できる。さらに、スマホのGmailアプリならば、メール受信と同時に着信音が鳴るので、キャリアメールとほぼ同様の使い勝手を実現できる。

たとえば、Gmailのアドレスが taro.nippon@gmail.comであれば、

taro.nippon+shukatsu@gmail.com
taro.nippon+facebook@gmail.com
taro.nippon+family@gmail.com
taro.nippon+amazon@gmail.com

といった感じで分ければよい。残念なことに、"+"が含まれているメールアドレスを受け付けないサイトもあるので、そういった場合はYahoo!メールを使って、Gmailに転送するのもありだろう。

プロフィール写真に顔写真は登録しない

FBのプロフィール写真は不特定多数が閲覧できる。はっきり識別できる顔写真を使わないことを提案したい。

日本の履歴書には顔写真を貼付することが一般的なので、名前を隠していても、顔写真から本人を特定される可能性がある。

どうしても登録したければ、集合写真を使う、加工してぼかす、顔が小さく写っている写真を使うなど顔がはっきりと識別できないような写真を使う。友達からしか見えないページにだけ顔が分かる写真をアップロードすればよい。

見られたくない知人に、特定されるのを防ぐためなら、プロフィール写真の服装や持ち物にも気を付けよう。顔ははっきり分からなくても、服装と持ち物で本人と特定されては意味がない。

 

このエントリーでは「会社の人と距離を置くためのFB設定法」としてお送りした。あなたのFBページは、あなたのもう1つの名刺でも履歴書でもないはずだ。

Facebookのトラブルをキッチリ解決する本

Facebookのトラブルをキッチリ解決する本

婚外子差別違憲判決—自民党とヤフコメに見る封建的で差別に鈍感な人たち

婚外子相続格差に違憲判決

昨日、結婚していない男女の間に生まれた子(婚外子)の遺産相続分を結婚している夫婦の子(嫡出子)の半分とした民法第900条の規定が、違憲であるとの最高裁の判断が下った。

婚外子相続格差は違憲=「家族形態は多様化」― 民法規定めぐり初判断・最高裁大法廷 (時事通信 2013年09月04日)

差別とは自分の力ではどうにもできないことで不利に扱うこと

親が結婚していないという選択の余地がない理由で子に不利益を及ぼすことは許されない

のが判決理由だ。至極真っ当である。差別とは、「あなたの力ではどうにもできないことで、不利な扱いを受けること」である。性別、国籍、出身地、人種、障害の有無などは本人の力ではどうにもならない。日本人に生まれたくて生まれた人もいれば、そうでもない人もいる。

両親が法的に結婚しているかどうかは、子供にとっては決められないことだ。それによって、子供が不利な扱いを受ける。すなわち差別である。これを差別と呼ばずして、一体何を差別と呼ぶのだろうか?

国連の是正勧告から20年も放置された差別

今こそ変えよう!家族法―婚外子差別・選択的夫婦別姓を考える

今こそ変えよう!家族法―婚外子差別・選択的夫婦別姓を考える

婚外子差別の撤廃は欧米諸国では1960年代に実現しており、中国や韓国でも実現している。欧米に遅れること半世紀、諸外国や国連からもさんざん差別であると指摘され、今頃になってのようやくの違憲判断だ。遅きに失した。日本人がいかに差別に対して鈍感であるか、日本の司法がいかに保守的で事なかれ主義であるか、日本の立法がいかに自浄能力に欠けているかを、改めて世界に知らしめたのではないか。

今回の最高裁の判断が出たことで、政府は民法改正を迫られる。自民党の保守系の議員は反発しているが、最高裁の判断を尊重して、速やかに改正に取り組んでもらいたい。間違っても、憲法の方を、民法に合うように改正しようなどいうことは考えないでもらいたい。(頭が封建時代でストップしている自民党ならやりかねない)

見るに堪えないヤフーコメント

ヤフーニュースには、利用者が自由に投稿できるヤフーコメント(ヤフコメ)というコメント欄がある。ヤフコメには、このニュースについて目を疑うようなコメントが数多く付けられている。見ずに無視すれば良いのだが、無視すればするほど、世論が間違った方向に誘導されるのではないかと私は危惧している。

ヤフーは、日本でトップのアクセスを誇るポータルサイトだ。ヤフーのトピックスに掲載されたニュース記事には膨大なアクセスがあり、そこから関連サイトとしてリンクされたサイトが、ヤフー経由のアクセスの多さに耐えきれずサーバーダウンしてしまうケースも珍しくない。

ヤフコメは、記事のすぐ下にあり、記事を読んでいけば、否が応でもコメント欄に目がつく。各コメントは、閲覧者が「そう思う」か「そう思わない」を投票できるようになっており、「そう思う」数が多いコメントほど上位に表示される。そのため、間違ったコメントが、たくさんの「そう思う」を得て、トップに表示されていると、それが正しいのではと思う人も出てくるかもしれない。ネットによる選挙運動が解禁された現在、それまで時事ニュースに興味がなかった若年層が、SNSで興味を抱いてくることが考えられる。多くがアクセスするのがヤフーニュースだ。そこでトップで表示されているコメントが的を射ていないコメントだったら、彼らはどう判断するだろうか?私は、ネット世論が間違った方向に流されることを懸念している。

正しいコメントを書いた人に、たくさんの「そう思わない」が付いていて、逆に間違ったコメントにたくさんの「そう思う」が付いているケースが少なくない。今回のニュース記事がその典型例だ。

ここでは各コメントについては取り上げないので、「『婚外子』相続差別違憲判断に憤慨する人々」(Togetter)を参考にしてほしい。

私としては、差別的で見当違いな投稿であふれるヤフコメは閉鎖してほしいのだが、リニューアルしたあたりを見ると、それはありそうもない。せめて、書き込みに必要なアカウントをFacebookのみに限定してもらいたいものだ。

 

時代は常に「伝統」に洗脳された封建主義者たちとの闘いだ。まだまだ、日本には多数の理不尽な差別が残っている。労働環境もその1つだ。闘いはまだまだ終わらない。

排除と差別の社会学 (有斐閣選書)

排除と差別の社会学 (有斐閣選書)

続・相次ぐ悪ふざけSNS炎上事件とどう向き合うか

悪ふざけによるSNS炎上が止まらない。ほぼ毎日のように起こっている。先のエントリーでは、「いちいち拡散させる必要性はない」と書いたが、今回は別の視点から書いてみた。

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)

まさに『ネットはバカと暇人のもの』になってしまった

バカ:
ITリテラシーが低く、ネットやSNSの特性を理解せず、自分の度を過ぎた悪ふざけを顔を出してSNSに自慢げに投稿する者。ネットは、自分の興味のあることしか見ないため、時事ニュースに関心が薄い。こういった炎上事件が相次いでいることすら知らない人も少なくない。従来のガラケー利用者がスマホに移行して、SNSを使い始めたことで近年増加した。
暇人:
ITリテラシーが高く、ネット利用時間が長い者。あらゆる方法を駆使して、炎上しそうなネタを探しまくり、見つければ拡散させて炎上させる。炎上して騒ぎになること自体を楽しんでケースが多い。この騒ぎを、ネットスラングで「祭り」という。以前から存在した。

先のエントリーで、対処方法を考えてみたが、これといった良案が思い浮かばない。夏休みが終われば幾分は沈静化するだろうが、この手の炎上事件は、これからも出てくるだろう。バカと暇人のいたちごっこは止みそうにない。

悪ふざけは続くよいつまでも

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SNSが一般的になる前から、この手の悪ふざけは行われていたのは、先のエントリーで書いたとおりだ。客側から見れば、バックヤードで何が行われているか知るすべがなかっただけに過ぎない。一般人による悪ふざけも、その場に居合わせた人でなければ知ることもなかっただろう。

ITリテラシーの高い人がメイン利用者だったSNSが、幅広い層への爆発的普及したことが、こういった悪ふざけを可視化した。小さな子供の悪戯や、非公開のSNSでの悪ふざけ投稿写真も含めれば、相当数に上るだろう。

世にはびこる犯罪がなくならないのと同様、この手の悪ふざけがなくなることはない。仮に、見かけなくなったとしても、マスコミがいちいち報道しなくなったか、晒す側が飽きたか、あるいは、悪ふざけをする側がSNSの公開設定を変えたり、SNS運営者側が初期設定をプライバシー重視に変えたりしたことで、表面化されなくなっただけだと考えるのが自然だ。

ネットのバカ (新潮新書)

ネットのバカ (新潮新書)

スルーする以外に方法はない

では、私たちはこの手の悪ふざけにどう対応すればよいのだろうか?先のエントリーでは「拡散させてネットリンチをするのはやめよう」と書いたが、今回は私たち自身が不快にならないためにできることは何かを考えてみた。

残念ながら、こちらも妙案は思い浮かばなかった。「知らぬが仏」ということわざがあるが、「知っても仏」となって、スルーするのが心理的に一番楽な方法だろう。そうでなければ、飲食店に行くたびに「もしかして、この店でも……」と疑心暗鬼になるだけだからだ。

確かに、「飲食店のバイトが冷蔵庫に入って、その中に入っていた食品が客に提供されていた」「一般客が飲食店の醤油差しに口を付けて遊んでいた」といった写真を見た以上、気持ち悪くなるし、憤りを感じるのは当然だ。店にクレームを入れれば、一時的には世間体を意識して、従業員教育の強化や悪ふざけ客への注意がされるようになるだろう。しかし、それで完全になくなるわけではないし、いつまで持続できるかも分からない。

私たちは、ファミレスやファーストフードなどの大衆向けの飲食店を利用するときは、悪ふざけが行われているかもしれないという前提で利用することだ。食中毒になったり、ケガをしたりする恐れがない限り、割り切ってしまうことだ。割り切れないなら、従業員教育が行き届いていそうな高級な店に行くしかない。

SNSで悪事が可視化されるのは世界共通

SNSで悪事が可視化されるのは日本に限らず、海外でも起きている。先にも書いたが、この手の悪ふざけを根絶するのは難しい。もし、この手の悪ふざけを根絶しようとすれば、今まで以上に各家庭で「モラル」を徹底教育するしかないのではないだろうか。


 FedEx Guy Throwing My Computer Monitor - YouTube

気をつけよう!情報モラル〈2〉メール・SNS編

気をつけよう!情報モラル〈2〉メール・SNS編

Facebook就活(ソー活)が一般化すれば「見かけ倒し優等生」ばかりになる

前回のエントリーで参照した記事の最初の方に「ソー活先進国・米国」と書いてあったが、米国の就活生はFBを就活に使わない。彼らは、就活のために、わざわざFBに登録している名前を変更したり、プロフィールの公開範囲を狭めている。

海外では就活のためにわざわざFBの名前を変える

Facebookで顔を隠す求職者たち (英語) CNN (2010年03月29日)

米国の就活生の声が載っている。要点は以下の通りだ。

  • 多くの就活生が就活のためにFBの名前を変更したり、公開範囲を狭めている。
  • 就活生の多くは、企業にFBページを見られることを快く思っていない。
  • 70%の企業がオンライン上で求職者の情報をチェックしている。
  • 企業は、求職者のFBページの他人からのコメントは重視しない。ただし、人種差別や同性愛者差別などのコメントがあれば、不採用になる。

最近は、企業が就活生と「友達」になることを要求したり、悪質なケースではFBのユーザーIDとパスワードを教えるように求めてくることもある。

日本では「協調性」をチェック、海外では「常識」をチェック

企業はあなたのFBページを見たがっている

企業が候補者のFBページを覗きたがるのは海外でも同じだが、その理由は異なる。日本では、前回のエントリーで取り上げたとおり、候補者の協調性を見ることが主な目的になっている。日本企業では「FBが充実している=社交性・協調性がある」という図式が成立しているうえ、「協調性」が日本企業で働く上で不可欠な要素となっているからだ。他方、海外では、候補者が不法行為や差別的な言動をしていないかどうかを見ることが目的になっている。海外では、日本以上に人種差別・同性愛差別に対して極めて敏感なことと、特に米国では訴訟社会であることが要因であろう。

ちなみに、日本ではFBページが充実しているほど、「リア充」と見なされるようだが、海外ではそうではないようだ。低学歴ほどFBに熱中し、ヘビーユーザーは人生の満足度が低い(英語)というデータがある。

FB就活(ソー活)の一般化がFBをつまらなくさせる

「よくないね」

企業が候補者のFBページを選考材料にすることが知れ渡れば、候補者は企業に受けの良い写真やコメントしか公開しなくなるだろう。空気を読んで、本音と建て前を使い分けることが処世術とされる日本ではなおさらだ。 中には、「弊社スタッフの外国人と笑顔の写真を撮って国際性をアピールしよう」「就活用にあなたのFBページを弊社スタッフが盛り上げます」なんてサービスが出てくるかもしれない。あるいは、すでに存在するかもしれない。

就活生の側も、就活用に別アカウントを作ったり、見る人が友達か企業かによって公開する内容を変えるように設定したりするかもしれない。友達しか見られないページには「炎上するほどではないけどちょっと羽目を外した写真」が、企業に見られることを前提にしたページには「マジメに勉強して優等生ぶっている写真」がアップロードされるという何とも滑稽なことになることも考えられる。ネット上の人格なんて、いくらでも作れるのだから。そうなっては元も子もなかろう。

友達同士の交流はSNS、候補者と企業の交流は専門サイトという形がベスト

ソー活はソー活でも、同じ就活中の友達同士が情報交換に使うのは、それは大いに結構なことだ。だが、ソー活が企業主導で行わたり、会社の人間がFBに入ってきたりするとなれば、話は別である。企業と就活生のつながりは、リクナビやマイナビなどの新卒向けサイトで、就活中の友達同士の交流はFBで、というように使い分ければよいではないか思う。企業と就活生の交流が大事だと言うのなら、そういった就活サイトをSNSのようなシステムにすればよかろう。企業は就活生のプライベートを尊重し、FBを探るべきではない。説明会や面接などで会社を訪問した就活生の跡を尾行して、こっそり日常を探る行為など一般的ではない。リアルの延長線上にあるFBでも同じではないか。

FBに限らずSNSというのは、気が合い、志を同じくする仲間同士の交流だからこそ楽しく役立つのだ。もう一度、SNSの原点に帰ろうではないか。

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©2018 だから僕は海外に出る、さあ君も by 佐野由自