だから僕は海外に出る、さあ君も

「日本って何か変だなぁ」という疑問を胸に、思い切って海外脱出した著者が、海外からの視点で日本の社会問題や海外脱出アドバイスを綴るブログ。日本の奴隷的な長時間労働にうんざりしている人、ナショナリズム台頭・人口減・財政難の日本の行く末を危惧している人、協調性という名の同調圧力に耐えられない人、とにかく自分の殻を破ろうと思っている人、そんなあなたに『海外に出ること』を選択肢の1つとして提案する。

だから僕は海外に出る、さあ君も - ニートのガラパゴス日本脱出日記

ガラパゴス化している日本の奴隷的な労働環境と保守的な社会構造に適応できずに海外脱出したニートが海外視点で綴るブログ

仕事なんかクソだろ? 就活やめて日本を出よう! 奴隷やめて海外に出よう! 語学を学び世界に出よう! 「仕事なんてクソだろ」が売り文句の「ニートの海外就職日記」に影響を受けた、あるニートのブログ

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生まれる国─ポスト人口減社会と22世紀の日本地図

人口減が止まらない。それらについて、先の記事で人口減少社会の行く末をの記事を書いた。

今回は、さらにその先を見据えてみる。

日本は没落する。しかし……

この先、日本は間違いなく没落する。今の日本を見ていると、長く持つ気がしない。

地中海沿岸を支配したローマ帝国は滅び、7つの海を支配した大英帝国もすっかり落ちぶれた。

女性を差別し、年齢で差別し、多様性を認めず、不寛容が蔓延し、外国人を排斥し、長時間労働は減らず、長いものには巻かれ、出る杭をたたきのめし……、いつまで経っても旧態依然としたやり口を変えようとしない。こんな国が発展する方がおかしい。現に、様々な指標が日本が没落していることを示している。

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22世紀の地図はどうなっている?

「没落する」と聞けば、多くの人は悲観的になるだろう。しかし、逆の見方をすれば、新しい国が生まれるチャンスでもある

6500万年前に地球に衝突した小惑星は、地球環境の激変させ、恐竜を絶滅に追いやった。しかし、地球そのものがなくなったわけではない。絶滅した恐竜に変わり、新しい種が地球上に繁栄し始めた。

同様、日本が没落しても、日本列島がなくなってしまうわけではない。

人が住むのに適した土地がある。ところが、そこには誰も住んでいない。あるのは、崩れかけた廃屋と耕作放棄された土地だけ。(先の記事で示した人口減少社会・日本の行く末) そうなれば、当然入植してくる人がいる。それは、日本人かもしれないし、日本人ではないかもしれない。ただ共通しているのは、「俺たちでここに新しい国を作っていこうぜ」と考える強い信念と行動力を持った人たちだ。

地方移住の罠

「地方創生」の旗印に、多くの自治体が移住者を募集している。ところが、元々の住民と移住者との間でトラブルが起こる場合が少なくない。村八分のような扱いを受けた*1とか、軋轢からうつ病になったというケースもあるという。元々の住民が求めているのは、「(悪しき慣習であっても)その習わしに従ってくれ、さらに自分たちにとって都合がいい人」だからだ*2。他方、移住者が求めているのは、「新しい土地で(自分たちが主体になって)新しいことを始めること」である。そもそも若者たちが地方から出ていくのは、因習に嫌気がさしてのことが多いのだから、よそから移住してきたところで、新旧住民の間で様々なもめ事が生じるのも無理はない。ただ、無人地帯や限界集落であれば、そもそも人がいないのだから、トラブルに発展する可能性は低くなる。このまま人口減が続き、多くの地方から人の姿が消えたとき、古い価値観にとらわれないリベラルでイノベーティブなハングリー精神あふれる若者たちが入ってくるだろう。

そして、彼ら(新日本人)は、新しい国・新しい日本を作っていく原動力となる。

これからの日本

100年単位で見たこれからの日本

上の図に示すように、日本人の中でも、古い価値観にとらわれた旧日本人は淘汰され、新しい価値観を持った新日本人が中心となって、新しい国を作っていく

とは言っても、日本の領土である以上、日本の法律(=霞ヶ関・永田町の論理)が適用される。そうすると、それが足かせとなって自由な街作りができない。そうなってくると、地域住民の民意を武器に、より広範な自治権を求め、中央政府からの権限委譲を勝ち取る方向に向かう。場合によっては、「じゃあ独立だ! 住民投票だ!」ということになるかもしれない。新しい国々が1つにまとまって連邦国家を作り上げていく可能性だってある。まさに「生まれる国」だ。

同調圧力という呪いから解放された新日本人は、持ち前の勤勉性を武器に、日本を再び偉大な国にする。その新日本人が作り上げた国が、「東アジアのシリコンバレー」のようになっていくことも十分に考えられる。(逆に、極東の貧民国として落ちぶれたり、全体主義が蔓延し北朝鮮のような独裁国家になっていたりするかもしれないが……良い方向に進むことを信じたい)

日本語も変わっていく

私たちの母語である日本語も変わっていくだろう。縦社会の象徴ともいえる敬語は使われなくなり、限定詞(英語のa,the,myなど)ができたり、主語の省略がされなくなったりするかもしれない。(日本語に限定詞がなく、主語が省略されがちなのは、日本のハイコンテクスト文化が関係している) 古文の授業では、「昔の日本は上下関係が厳しかったため、『敬語』と呼ばれるものがあったんだよ」と教えられる日が来るかもしれない。

諸行無常──世の中に不変のものはなし

こんなことを言えば、「何を寝ぼけたこと言ってやがる!?」「神州日本は永遠に不滅だ!!」「日本を乗っ取ろうとしてる反日左翼売国奴が」という声が聞こえてくる。

しかし、歴史の教科書を思い出してほしい。

現在の都道府県という枠組みができてから150年しか経っていない。また、100年前の日本地図では、今の日本地図に加えて、千島列島、南樺太、朝鮮半島、台湾が日本の統治領として赤く塗られていた。海外に目を向けると、アメリカのカリフォルニアやテキサスは古くはメキシコ領であった。近年では、英国のスコットランドやスペインのカタルーニャでは独立の是非を問う住民投票が行われたし、米国のカリフォルニアではトランプ氏が就任後、独立運動が盛り上がったという話は記憶に新しい。

100年後の日本地図が、今と同じということはまんざらあり得ないことではない。

もちろん私たちはその時代には生きていない。しかし、「ポスト人口減少社会と22世紀の日本地図」を想像するのも悪くはない。

ここまで書いていると、私たちは果てしない歴史のストリームの中で生きているのだなぁと、改めて実感する。その中のせいぜい100年の人生、どれだけ小さくても歴史に痕を刻みたいと思う。

ミライの授業

ミライの授業

「憲法記念日」─自民党に憲法を指一本触れさせてはならない

ゴールデンウィーク真っ只中の今日(5月3日)は、「憲法記念日」である。日本国憲法が公布されて以降、もっとも改憲に近づいている憲法記念日ということもあり、各地では改憲派と護憲派が様々な集会を開かれることであろう。

今の日本を見ていると、「改憲」か「護憲」かという二者択一にという風潮になっているように思う。私は、「改憲=絶対悪」だとは思っていない。時代の変化に応じて、足りないところは付け足していったり、変えていったりするのは間違ったことではない

信用できない日本の政権

しかし、私は、日本国憲法の改正に反対する。なぜなら、今の日本の政権(司法・立法・行政の三権)がまったく信用できないからだ。

「信用」とはどれほど重要か、いくつか例を挙げよう。

  • アメリカが核やICBMを保有するのは賛成だが、北朝鮮が保有するのは断固反対する。
  • ドラえもんが秘密道具をのび太には貸せなくても、出木杉には貸せる。
  • 警察官が拳銃を携帯するのは許せるが、一般人が拳銃を携帯するのは許せない。
  • 定職を持っている人は住宅ローンの審査が通っても、無職やフリーターの人はまず通らない。

これらはなぜだろうか?──答えは、言うまでもなく「信用できるか否か」である。

それと同じだ。私は、日本(政府)は北朝鮮と同じで、信用できない国であると思っている。日本の民主主義は張りぼてに過ぎない。

日本の政権与党である自民党は、「自由民主党」などと大層な名前を党名にしているが、これっぽっちも自由でも民主でもない。個人の自由や権利を制限しようとする方向に持って行くのは自由主義とは相反する考え方だ。透明性に欠け、都合が悪いことは隠蔽し、すべてが夜に決まるような密室談合体質は、お世辞にも民主的とは言えない。

自由民主党(笑)。

自民党は、個人の自由や権利といったものを激しく嫌っている。国民なんて、国家という巨大機構を動かす歯車に過ぎない──それが自民党の考え方だ。事実、第1次安倍内閣の法務大臣は、次のような発言をしていた。改憲案と併せて、自民党の本性が垣間見えるのではないか。


「国民主権、基本的人権、平和主義…この3つをなくさなければ本当の自主憲法ではないんですよ」 第一次安倍内閣の法務大臣 長勢甚遠

国民主権・基本的人権・平和主義がない……北朝鮮じゃん。なくさなければならないのは、自民党の存在そのものだよ……。

憲法は、個人の自由と権利を守るため、国家権力を縛る役割がある。個人の自由と権利を制限し、国家権力を強化しようとする連中に、そんな大事な憲法を委ねて果たして大丈夫なのだろうか? こんな連中を信用できるだろうか?

私は信用できない。残念ながら、自民党なんてその程度の連中である。そして、そんな自民党を支持している人たちのおよそ半分は、性差別主義者、人種主義者、偏狭ナショナリスト、拝金主義者といった嘆かわしい人たちだ。

自民党がどんな詭弁を弄しようが、自民党の本性は変わらない。このまま自民党の恣にすれば、日本は北朝鮮、中国やロシアのような国になる。

改憲に限らず、「共謀罪」も同じ

改憲に限ったことではない。多くの有識者が共謀罪(「テロ等準備罪」という名の治安維持法)に反対するのも同じ理由からである。

日本の刑事司法は、国連から「中世並み」と揶揄されるほど悪辣なものだ。ここでは詳細に触れないが、別件逮捕、長期拘留、代用監獄、証拠捏造や拷問まがいの取り調べなどは非常に問題視されている。記者クラブ制度により、マスコミは警察・検察批判には及び腰だ。

透明性や自浄能力に著しく欠け、数々の問題を抱えているにも関わらず、それらを解決することなく新しい権力(捜査手法)を与えることで、恣意的に使われるのではないかということを懸念しているからこそ、反対論が巻き起こっている。つまり、「信用できない」ということだ。

組織を守るためなら平気で法を犯したり、嘘をついたりする日本人

個々の日本人は、礼儀正しく誠実な人が多い。ところが、組織の一部になったとたん、組織を守るためなら平気で嘘をつくようになる。まして、その組織が権力を携えた「国家権力」ともなれば、嘘を嘘で塗り固めるなんて朝飯前だ。嘘がばれたとき、トップが頭を下げ、辞任する。頭を下げた瞬間にカメラのフラッシュとシャッター音が一層激しくなるのは、もはやおなじみの光景だ。

改憲を目前に控え、目の色を変えて本性をむき出しにしつつある自民党

改憲は自民党の結党理由である。

今の自民党を見ていると、

自民党の本音

自民党の本音

といった感情がひしひしと伝わってくる。

  • 「願いを叶えるのはこのフリーザさまだーーー!!!! きさまら下等生物なんかではなーーーい!!!!」と全速力で悟飯たちの元に向かうフリーザ。
  • 「一段落したらすべて焼き払ってやる!! クソッ、ここもか!!」とラピュタの心臓部で巨大飛行石を目前に目の色を変えるムスカ。

彼らを彷彿とさせる。

そういったピリピリした政権内部の空気を感じ取って、忖度した結果が昨今の過剰な政権批判を自粛する風潮だろう。

立憲主義国家の主権者として物申す

憲法とは、お子ちゃま民主主義国家・日本の政権与党・自民党のおもちゃなどでは断じてない。国民のものである日本国憲法を、自民党を筆頭とする全体主義政党(ファシスト)共には指一本触れさせるわけにはいかない。

私が改憲に賛成するとすれば、日本が名実ともに真の民主主義国家になった暁だ。ただ、日本会議のような極右カルトの跋扈を許している限り、まだまだ先の話になりそうである。

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安倍政権が森友・加計問題をうやむやにしたまま、のらりくらりと逃げ切り、国民投票で過半数の賛成を経て改憲がなされるようであれば、その時は、本当に日本を棄てる時かもしれない。

憲法という希望 (講談社現代新書)

憲法という希望 (講談社現代新書)

「昭和の日」─昭和時代を顧み、国の将来に思いをいたすとしよう

今日(4月29日)は、「昭和の日」である。昭和天皇裕仁の誕生日だった日だ。

「昭和の日」を大辞林で引くと、

しょうわのひ【昭和の日】
国民の祝日の一。4月29日。激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす日。昭和天皇の誕生日に当たる。2007年より、従来の「みどりの日」を引き継いで実施。
スーパー大辞林3.0 (C) Sanseido Co.,Ltd. 2010

とある。

ということで、昭和時代を顧み、国の将来に思いをいたすとしよう。

「激動の日々」を振り返ってみる

「激動の日々を経て、復興を遂げた……」とあるので、まずは激動の日々を振り返ってみよう。

  • 1868年/明治元年
  • 1923年/大正12年 関東大震災
  • 1925年/大正14年 治安維持法公布 (1941年に全面改定)
  • 1929年/昭和4年 世界恐慌
  • 1931年/昭和6年 満州事変
  • 1933年/昭和8年 国際連盟脱退
  • 1936年/昭和11年 二・二六事件
  • 1937年/昭和12年 盧溝橋事件
  • 1938年/昭和13年 国家総動員法公布・施行
  • 1940年/昭和15年 東京五輪(中止)
  • 1941年/昭和16年 真珠湾攻撃
  • 1945年/昭和20年 東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎への原爆投下、敗戦
  • 1946年/昭和21年 日本国憲法公布
  • 1951年/昭和26年 サンフランシスコ講和条約

確かに激動の日々である。大正デモクラシーの自由主義的風潮はファシズムの中で消え去り、日本はゆっくりと、だが、確実に破滅への道を突き進んで行ったのが分かる。

マッカーサー元帥と昭和天皇裕仁

マッカーサー元帥の隣に立つ昭和天皇裕仁

国の将来に思いをいたすと……

法律の趣旨にあるように、国の将来に思いをいたすと、「同じ事(戦争)を決して繰り返してはいけない」ということを改めて感じる。

では、同じことを再び繰り返さないためには、どのようにすればいいのだろうか? ヒントとなるものが、『火垂るの墓』の故高畑勲監督の言葉の中にあった。

「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は『そういう目に遭わないために戦争をするのだ』と言うに決まっているからです。自衛のための戦争だ、と。惨禍を繰り返したくないという切実な思いを利用し、感情に訴えかけてくる」

確かに、これは為政者が戦争を始める口実に使うものだ。実際、ナチスドイツのヘルマン・ゲーリングは以下のように言っている。

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また、高畑監督は以下のようにも言っている。

「(先の戦争について)いやいや戦争に協力させられたのだと思っている人も多いけれど、大多数が戦勝を祝うちょうちん行列に進んで参加した。非国民という言葉は、一般人が自分たちに同調しない一般人に向けて使った言葉です。 『空気を読む』と若者が言うでしょう。私はこの言葉を聞いて絶望的な気持ちになります。私たち日本人は昔と全然変わっていないんじゃないか、と。周りと協調することは良いことですが、この言葉は協調ではなくて同調を求めるものです。歩調を合わせることが絶対の価値になっている。(中略) 古くからあるこの体質によって日本は泥沼の戦争に踏み込んでいったのです。私はこれを『ズルズル体質』と呼んでいますが、『空気を読む』なんて聞くと、これからもそうなる危うさを感じずにはいられません。」

この日本の「ズルズル体質」は今も昔も変わっていない。特に最近は、同調圧力が高まってきているように思う。マイノリティーに対するヘイトがはびこり、愛国ポルノ(という名の日本賞賛コンテンツ)が蔓延しているのを見ていると、薄ら寒さを感じずにはいられない。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

もしかしたら、今は「戦後」ではなく「戦前」なのかもしれない。北朝鮮の融和の動きも、嵐の前の静けさなのかもしれない。そうではないことを願うばかりだが、こればかりは誰にも分からない。

歴史は繰り返す??

今年(2018年)は、日本が負けたアジア太平洋戦争の終戦から73年目、明治維新から150年目(明治元年=1868年)に当たる年だ。 70年周期で歴史が大きく動くという説がある。70年というのは、だいたい人の生涯に相当する期間である。悲惨な時代を知る人が少なくなり、人々から当時の記憶が薄らいだ時、歴史は大きく動くのだろうか。

悲惨だった「昭和の日」を繰り返してはいけない

自民党としては、「昭和の日」を、戦後の復興から高度経済成長を成し遂げた「古き良き時代」として懐古にふけりたいのだろう。しかし、忘れてはいけないのは、ここでの復興は戦災から復興であり、そこには戦争による惨禍があったということだ。そして、戦争とは自然災害と違って、人が起こすものだ。人が起こすものである以上、防ぐ手立ては必ずある。

そのためにも、

  • 為政者はどのように国民を戦争に駆り立てたのか?
  • 何故国民はそのような為政者を支持したのか?
  • 当時の社会情勢(国民生活、経済、国際情勢……etc)はどうだったのか?

といったことを歴史から謙虚に学び、再び同じような兆候が起きていないか、良き監視者として目を光らせる必要がある。

明仁天皇が退位するまで残り1年となり、昭和時代が遠い過去の日になりつつある今、「昭和の日」ということで、昭和時代について考えてみた。

もういちど読む山川日本近代史

もういちど読む山川日本近代史

社畜の休日─まだゴールデンウィークで消耗してるの?

今年もやってきたゴールデンウィーク──年に3回ある民族大移動の時期である。ゴールデンウィークと言えば、「今年も大型連休をふるさとや行楽地で過ごす人たちの帰省ラッシュが始まり……」「成田空港では出国ラッシュが……」という毎年恒例のニュースが耳をよぎる。

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渋滞50キロ??──抜けるまで何時間かかるのだろう? ようやくサービスエリアにたどり着いたと思ったら、停める場所がない! ようやく停めたら今度はトイレが長蛇の列! 用を足して腹ごしらえだと思ったら、フードコートで空いてる席がない!

乗車率150%の新幹線??──2時間も立ちっぱなし? 通路にも人があふれているため車内販売は来ないし、トイレに行くことすらままならない。途中駅で降りる場合は、大きい荷物を持って、人をかき分けながらなんとか降りる。

想像しただけで疲れるのだが、悲しいかな、これが日本で働くサラリーマンの休日である。

通常時の2倍のお金払って、サービスは通常時の2分の1

ゴールデンウィークは年に3回しかないかき入れ時ということもあり、どこもかしこも高い。JRでは特急回数券が使えなくなっているし、割引切符も設定期間から除外されている。飛行機でもエコノミークラスであっても正規料金並に高くなる。多くの宿泊施設は、今の時期は跳ね上がる。

黙っていても客が来るので、需給のバランスを考えれば高くなることは仕方がない。

通常よりも割高な料金を払って、通常よりも良いサービスを受けられるかと言われれば、全然そのようなことはない。サービスの質は変わらないどころか、むしろ落ちることが多い。

実際、旅行サイトの繁忙期(ゴールデンウィーク/盆/年末年始)に利用した人のレビューを読んでみると、「サービスが悪かった」といったケースが少なくない。高級ホテルならそういうことは少ないだろうが、中級以下のクラスのホテルでは、客の多さにサービスが追いついていないであろうことをふつふつと感じる。ただでさえ人手不足な上に、超多客期なのだから当然だろう。

ゴールデンウィーク中の旅行なんて、高い、混む、サービスの質は落ちるの三拍子そろっている。賢明な人は、わざわざこの時期に旅行する必要はない。たった1週間ずらしただけで、安くて快適な旅行ができるのだから。

海外だと好きなタイミングで長期休暇が取れる

こういうことを言うと、必ずといっていいほど「この時期でないと休みが取れないのだからしょうがないだろ!!」という反論が聞こえてくる。

まぁ、東京で社畜なんてやっていたらそうだろう。

これほどまでに同時期に同時に休むのは日本だけだ。実際、有給消化率の低さがそれを証明している。働き方改革(笑)。

海外では、1日〜数日程度の短い休みなら突発でもOK、数週間程度の比較的長い休みは事前に申請しておけばOKとケースが一般的だ。ちなみにフランスだとバカンスは2ヵ月。小中高生の夏休み(1ヵ月強)より長く、大学生の夏休み並である。

日本では「ホワイト企業」と呼ばれる会社であっても、さすがに週単位の長い休みを、比較的自由なタイミングで気兼ねなく取れるところは皆無ではないだろうか。

※ 日本では、軽い体調不良でも使える有給病欠がないので、有休消化は慎重にならざるを得ない。

休暇に入る前には、「すてきなホリデーを」と送り出してくれる。休暇から帰ってきたらデスクに同僚にいたずらしていたなんてこともあるらしい。

日本だと社畜上司に長い有給を申請すると、「2週間も休暇だと!? ふざけるな!! お前、仕事なめてんのか!!」と怒鳴られそうだ。それでも強行して休暇から帰ってきたら、いたずらどころか席(=籍)がなくなっていたりして。まぁ、「労道」という名のカルト宗教だからね。破門されるね。(笑)

「社畜の休日」(笑)

もっとも、100%の完全なサービスを求め、お互いに足を引っ張り合って、働くことを神聖視している社畜のおっさんたちが幅をきかせている間は、ワークライフバランスなんて夢のまた夢であろう。

ということで、東京で消耗している社畜の人は、50キロの渋滞or乗車率150%の新幹線で、つかの間のゴールデンウィークを楽しんでください。帰った後はいつものブラックウィークが待っている。6月は唯一祝日がない月なので、次の祝日は「海の日」だ。この次の大型連休は8月のお盆休みである。(猛暑の中、いつものように民族大移動が始まるのであろう……)

嗚呼、「社畜の休日」(笑)

ワークライフバランスが欲しい人は……

えっ!? 社畜になりたくないって? 社畜をやめたいって?

このブログではおなじみの台詞だが「海外脱出」──お先真っ暗なオワコン国家・日本から刹那でも目を背けるための気晴らしの旅行先としての海外脱出ではなく、より豊かな生活環境(労働環境や子育て環境を含む)を求めて定住先としての海外脱出である。

もちろん、海外脱出だけでなく、起業するのも大いにありだ。

この記事を読んで、顔を真っ赤にして、私のあら探しをし始める暇があったら、さっさと行動に移せばいい。もっとも、それができないから東京でサラリーマンなんかしているのだろう。

さっさと行動。一に行動、二に行動、三に行動。

東京でサラリーマンになること=ゲームオーバー

東京でサラリーマンになることほどつまらない人生はない。もう少し詳しくいうと、東京にある大企業の総合職ホワイトカラー、中央官僚に公務員として就職することだ。

ゲームオーバー

会社とコンビにセブンイレブン♪

プログラミング演習の例題にいいかも。(笑)

  • 「Shachikuクラスを作って、new演算子でSararymanインスタンスを作って……」
  • 「Shachikuクラスを継承して、SuperShachikuクラスを作って……」
  • 「中央官庁のキャリアなら天下りが必要だから……」
  • 「先生!! エラーが発生しました」

嗚呼、サラリーマン=社畜人生。

サラリーマンはつまらない

サラリーマンになっても、やりたい仕事に就かせてもらえる保証もなく、20代の間は、偉そうな社畜上司の下で、下働きしかさせてもらえない。仕事らしい仕事をさせてもらえるのは30代になってから。卒業から10年も経つと、学生時代に習ったことの多くはすっかり忘れてしまっている。40代でぽつぽつと昇進できる人がでてくる。

引用したツイートにあるように、歳を取ると、身体的な衰えだけでなく、新しいことに挑戦しようとする意欲が失われてくるのだろう。つまり、覇気がなくなって、変化よりも現状維持を好むようになる。年功序列の見本とも言える官の常套句が「前例がない」になっている理由が分かる。

詰まるところ、若者らしい覇気があふれている時期は、下働きのような仕事しかさせてもらえない。歳を取ってそれなりの権限がある地位になった時には、若かりし頃の覇気はすっかり消え失せている。気が付いたら、若手の社員にダメ出しばかりしているおっさんになった自分がいる。

嗚呼、サラリーマン=社畜人生。

サラリーマンは幸せそうに見えない

「たとえ仕事がつまらなくても、幸せだったらそれでいいじゃないか?」という声がある。これはもっともだが、実際、サラリーマンを見ていても、これっぽっちも幸せそうには見えない。(東京圏に住む既婚男性の2人に1人は自宅に居場所がない自宅難民とのこと*1)

朝ラッシュの通勤電車のサラリーマンを見ていると、みんな口をへの字に結び、重苦しい雰囲気が漂っている。深夜の下り電車だと、言葉では言い表せない疲弊感が漂ってくる。誰も声を発さず、車内アナウンスと電車の走行音だけがこだまする。故スティーブ・ジョブズの言葉を借りれば、海岸を埋め尽くす死んだ魚のようにみえる。実際、死んだような目をしている。

帰途にあるサラリーマン

この朝ラッシュの電車の雰囲気は私もほぼ毎朝経験した。ただ、1時間目の授業がない時は約90分遅く出られるため、9時台の電車に乗ることになる。まだ混んでいるものの、7・8時台の雰囲気がまったく違ったことを記憶している。

それにしても、駅の発車メロディだけは何年たっても忘れられない。通勤時のイライラを少しでも解消するためにとのことだが、メルヘンチックな音楽と、現実社会のギャップが大きすぎる。

♪チャラチャラチャラチャラ、チャラチャラチャラチャラ、チャラチャラチャチャチャチャチャ♪……4番線、ドアが閉まります……ピンポン、ピンポン。……この電車は……。

サラリーマンは、本当は幸せでもないのに、「やりがい」という幻想に洗脳されて、今日もつまらない仕事で消耗しているのであろう。

嗚呼、サラリーマン=社畜人生。

サラリーマンは未来がない

「大企業のサラリーマンや公務員は安定している」とよく言われる。安全神話ならぬ安定神話はとっくに崩壊している。日本という国そのものが未来がないオワコン国家なのだから。

高度経済成長期であれば、昨日よりも今日、今日よりも明日と日々経済が発展していくのを実感できた。今日の日本で、日々耳にするニュースは「人口減少」「自治体消滅」「介護殺人」といった気が重くなるようなものばかりだ。私が言うまでもなく、日本はオワコンである。多くの日本人が薄々感づいているからこそ、愛国ポルノ(という名の日本賞賛番組)が流行るのだろう。

ヤフーニュースのコメント欄や2ch掲示板に匿名でゴミみたいな投稿を繰り返したり、Twitterの匿名アカウントでクソリプを飛ばしている層におっさんが多い*2のも納得する。連日連夜の激務、家庭では妻子には蔑ろにされ自宅難民状態だったら、ネットで発散したくなる気持ちも分かる。

嗚呼、サラリーマン=社畜人生。

えっ!? これから東京で消耗するつもりなの?

昨日(2018年4月1日)は日曜日だったので、今日は、多くの企業で入社式(という名の奴隷になるための洗脳式)が執り行われたことだろう。

  • サラリーマンの人は今すぐ辞表を提出しよう
  • サラリーマン目指して就活中の人はESを破り捨てよう
  • 内定もらっている人は今すぐに内定辞退の電話を入れよう

これは、エイプリルフールのジョークではなく、本気で言っている。

あなたは若くて優秀なのだから、『サラリーマンin東京』というオワコンのバグだらけの鬼畜難易度のクソゲーでゲームオーバーになる必要はない。頭が中世で思考停止している日本という衰退途上国で奴隷になる必要はどこにもない。

自分の人生を生きよう (これを言うの何度目だろう??)

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

東京でサラリーマンになりました

今日(2018年4月1日)から、私は東京でサラリーマンとして就職することになった。それに伴い、ブログ名も『だから僕は海外に出る、さあ君も』から『だから僕はサラリーマンになる、さあ君も』に、ニックネームを「ガラニート」から「ガラリーマン」に変更した。

『だから僕はサラリーマンになる、さあ君も』のタイトルロゴ

『だから僕はサラリーマンになる、さあ君も』のタイトルロゴ

サラリーマンとして生きていくための7つの心得

私がサラリーマン人生をスタートするのに伴い、「サラリーマンとして生きていくために必要不可欠な7つの心得」を書いてみようと思う。

① サラリーマンのお陰で今の日本があることを忘れるな

今の日本があるのはサラリーマンのお陰である。日本人が多くの国でビザ無しで海外旅行をしたり、当たり前のように豊かな生活を享受できたりするのは、高度経済成長期に一心不乱に働いたサラリーマンのお陰である。高度経済成長期に活躍したサラリーマンは、第一線から退きつつあるが、私たちは彼らの意志を継いで、次世代へとつなげていかなければならない。

② いかなる場合も仕事を優先せよ

仕事会社は一人の力で回っているわけではない。非常に大勢の社員が協力しあって回っている。 その中の一人が「しんどい」「だるい」と自分勝手に休んだり、残業を拒んだりしたらどうなるだろうか? 歯車が一個でもかければ、どんな巨大な装置も正常に機能しない。それと同じである。「台風が来た」「熱がある」「だるい」などと言って、仕事を優先できない人間は、社会人としての自覚が足りない。社会人たるもの、いかなる場合も仕事を優先して当然である。

③ 苦労することで人間として成長できることを忘れるな

人間は苦労することで成長できる。最近の若者は温室育ちなので、苦労をすることを知らない。草食系か何だか知らないが、とにかく最近の若者は根性がない。「若い時の苦労は買ってでもせよ」とよく言われるが、これはその通りであろう。企業の新人研修では、自衛隊に体験入隊させたり、お寺で修行させたり、素手でトイレ掃除させたりするケースがあるようだが、私は全面的に支持する。給料をもらって苦労をさせてもらえるのだから、会社に感謝すべきだ。

④「やりがい」こそがすべての源と思え

仕事はつらいことも少なくない。そんなつらさを乗り越えるためのカンフル剤とも言えるのが「やりがい」だ。やりがいさえ感じれば、どんな辛いことでも乗り越えることができる。やりがいを感じているからこそ、つらさを乗り越えたときの喜びもひとしおだ。どんな仕事にでも、やりがいは必ず存在する。

⑤「仕事=人生」だということを忘れるな

仕事=人生である。1日の実労働時間を8時間だが、残業時間や前後の通勤時間を含めると、12時間近くになる。また、22歳で就職して、65歳で定年退職するまで43年間会社勤めをするとなると、日本人の平均寿命84歳の約半分に相当する。つまり、人生の半分は仕事なのだ。残りの半分も、入浴、食事や睡眠など人間生活に欠かせないことに費やされることを考えると、「人生=仕事」だ。そのことを忘れるべきではない。

⑥ サラリーマンであることを誇りに思え

剣サラリーマンとなったあなたは、もはやただの人間ではない。「企業戦士」という名の立派な戦士なのだ。かつて、中世の騎士たちは、鎧をまとい、剣を持ち、愛する祖国のために命を賭けて戦った。鏡を見てみると良い。あなたが着ているスーツのネクタイは、まるで剣のように見えるのではないだろうか。その剣のようなネクタイこそが「戦士の証」である。現代の戦士であるサラリーマンとして戦えることを誇りに思うべきだ。

⑦ 会社に忠誠を誓え

最後は、サラリーマンとして一番大切なことだ。それは、いかなる場合も、あなたを雇ってくださっている偉大なる会社様に忠誠を誓うことである。会社の命令・判断・方針はいつ・いかなる場合においても絶対だ。会社の命令であれば、たとえ法律に反しようが、自分に良心に反しようが従わなければならない。また、的確な指示がなくても、会社の意向を忖度して、「指示無き指示」に従えるようにならなければならない。明確な指示があるまで動かない人間は、「指示待ち人間」と非難されるであろう。

上から「公文書を書き換えろ」と言われれば書き換えなければならない。仮に証人として呼ばれても、上の意向を忖度して、うまく証言を拒否しなければならない。

あなたは「スーパーサラリーマン」になれる

ここまでサラリーマンとして生きていくための「7つの心得」を書いてみた。サラリーマンがこれら7つの心得をすべてを完全に兼ね備えれば、どうなるのだろうか?──「スーパーサラリーマン」になることができるのだ。

出だしのサラリーマンは「社畜」と嘲笑気味に呼ばれることがあるが、スーパーサラリーマンとなった暁には、「神畜」として称えられる。さらに修行を積めば、「スーパーサラリーマンゴッド」という神の力が宿ったサラリーマンになることができる。

あなたが忠誠を誓う会社、そんな会社を取り巻く社会こそが「日本」という国だ。この日本という国は「神の国」である。このことは、大辞林にも載っているし、内閣総理大臣だった人も認めている。さらに世界中の人たちが神の国・日本に熱狂している。目を輝かせながら、「日本SUGEEEEEEEEEEEE!!!!」という外国人を毎週のようにテレビで見かけたことがあるだろう。

世界に目を向けると、仕事を求めながらも、なかなか仕事に就けない人が少なくない。そんな中、世界中の人々が憧れる日本、そんな日本の首都・東京でサラリーマンとして働けることを光栄に思うべきだ。

今日は4月1日──エイプリルフ……ァーストである。新年度の始まりは、何かすがすがしい気持ちになる。これからは、「会社ファースト」で精進していきたい。

世界の日本人ジョーク集 (中公新書ラクレ)

世界の日本人ジョーク集 (中公新書ラクレ)

老いゆく国─『老年期の終り』と日本

以前、日本の実家に行った。私の実家は、高度経済成長期に造成されたニュータウンにあるのだが、「オールドタウン」という言葉がぴったりなほど、街自体が高齢化していることを肌で感じた。

「老人ホーム化」していく日本

以前、このようなことをツイートした。

他にも、

  • 子どもたちのかけ声が響いていた公民館の体育館は、中高年のスポーツ・ダンスサークルが多く開かれていた。
  • 救急車の出動回数が増えた
  • 紅葉マークをつけた車が増えた
  • 母校の全学級数は、私が在校していた頃の3分の1にまで減少

といったことが気になった。

人口減少とか自治体消滅とか叫ばれて久しい。どこか遠い画面の向こうの世界にしか思えなかった。しかし、自分の生まれ育った街が衰退しているという姿を目の当たりにしたとき、何とも言えないもの悲しい気持ちになった。

平日昼間から庭の手入れをしたり、犬を散歩させたり、スポーツに勤しんだりしている高齢者が多い。まだ頑健な人が多い印象だが、彼らは後期高齢者になっていく。歳を取れば取るほどに認知症になったり、疾病を患ったりする確率も増えていく。今後は施設に入る高齢者も増えていくだろう。彼らの子どもたちは、既に自立していることが多いため、誰も住まなくなった家は空き家となる。20年後には別の様相を呈していることだろう。

私の実家の街だけでなく、日本全国の自治体で現在進行形で起こっている出来事である。私は、日本という国自体が老いつつあるように思えた。

『老年期の終り』

国が老いる──私は、ふと『老年期の終り』という藤子不二雄の超短編漫画を思い出した。初出が1978年というからかなり古い作品だ。

『老年期の終り』梗概

銀河の中心に位置する惑星ラグラング──そこに、地球から来た1人の少年(イケダ)がたどり着く。イケダはコールドスリープ(人口冬眠)で長い眠りについていたが、ラグラングに住む医者の卵であるマリモの手で目覚める。イケダは、未知の文明との接触を求めて、6000年前の2057年にに地球を旅立ったのだった。長い年月をかけてようやく異星文明にたどり着いたと思い歓喜に震えるイケダであったが、翌日にはラグラングの住人と共に60日で地球に帰ることを知らされ、愕然として気を失ってしまう。

ラグラングの資料を整理する司書にしてマリモの祖父であるゲヒラ老人は、イケダに人類の歴史を語り始める。実は、イケダが旅立って150年後の23世紀半ばにワープ航法が開発され、人類は銀河の隅々まで探索可能になったのだという。そして人類は、資源、異星文明、植民地を求め、宇宙へと飛び出した。ラグラングは銀河の開発拠点とされた星だったのだ。

「まさに爆発的なエネルギーだったよ。あのころが『人類』の『青年期』だったのだろうね」とゲヒラ老人は言う。人々がラグラングを後にするのは、開発拠点としての役割を終えたからだという。

「銀河系が開拓され尽くしたわけじゃない。意欲を失ったのだ。いわば『人類』という種全体が青年期を過ぎて…………老年期に入ったんだよ」

「まず出生率の低下だな。連邦の人口は急速に減少しつつある。文化の停滞も問題だ。ここ三百年ばかりこれという発見も発明も何もない。何よりもはっきりしているのは……新しい物に目を向けようとしなくなったことだ。人類全体の性向がそうなっている。わしのように古い記録をあさっていると昔の人と現代人の違いにがく然とすることがある」

地球に帰還する日、イケダは乗ってきた宇宙船でまた旅立とうとする。止めようとするマリモにイケダは言う。

「行けるところまで行くさ。手をつかねて亡びを待つなんてぼくの性に合わないんだ。ほんのわずかでも可能性が残されてるかぎり、ぼくはそれを追ってみたいんだ」

そしてマリモはイケダに付いていくことを決める。

イケダとマリモを見送りながら、ラグラングにただ1人残ることを決めたゲヒラ老人は思う。

「我々からずっと前に失われていものがここにあった。未知に挑む勇気、明日を信じる若さ。遠い将来 遠い星で新しい人類が再出発するかも知れぬ」

※ 『老年期の終り』の詳しい情報はGoogle検索して。

作中に古いアメリカ民謡である『マギー若き日の歌』が登場する。


マギー若き日の歌を 堀内敬三訳詞・ J.A.バターフィールド 作曲 When You And I Were Young, Maggie

その歌詞を引用しておく。

マギー若き日の歌を

マギー若き日の歌を

「老人化」していく日本

この作品を読むと、今の日本と重ね合わさずにはいられない。現在進行形で起きている出生率の低下、少子高齢化と急激な人口減に加え、草食系やマイルドヤンキーと呼ばれる上昇志向がない若者の増加は、作品の背景とそっくり重なる。

実際、1990年代以前の若者と現在の若者を比べると、その違いに愕然とするのではないか。

かつての若者であれば、良い仕事について、高い給料をもらって、クールな車を買って、魅力的な女性をデートに誘って、結婚して子どもを持って、良い家を買って……といったことが当たり前であった。今日では、出だしである「良い仕事に就く」ということ自体が困難な時代だ。よく「若者の○○離れ」と聞くが、その背景に格差拡大に加え、日本を覆う閉塞感・厭世観があることは間違いない。

それに対して、

  • 「日本がダメなら海外に出ればいい」
  • 「就職するのではなく起業すればいい」
  • 「失敗したら何度でもやり直せばいい」
  • 「日本というシステムに欠陥があるなら、少しずつでも直していけばいい」

というのが常日頃の私の主張だ。共感してくれる人はたくさんいるのだが、日本全体から見ればマイノリティーの部類に入ることは否めない。

どこまでも嘘を嘘で塗り固める戦後最低最悪の安倍政権だが、'00年代以前の日本であれば、あのようなことがあれば、間違いなく退陣に追い込まれていただろう。「他に適切な人がいない」という理由があっても、お灸を据えることぐらいはできたはずである。そうならないのは、おそらく多くの日本人が「誰がなっても一緒」「もうどうでもいい」と諦観の境地に達しているのだろう。海外から見ると、日本の民主主義はまだまだ成熟していないが、成熟する前に終わろうとしている。

そして、老いから死へ……

手をこまねいてただ滅びを待つという人が多いのは、『老年期の終り』のように、日本人という民族そのものが老いているからかも知れない。それとも、日本流の滅びの哲学なのだろうか。

先日の記事中で、日本の未来を想像した架空のストーリーで、「上空から見れば日本の至る所に廃墟が見える」と書いたが、廃墟は日本という国の墓標のようにさえ思えてくる。

日本を覆う瘴気に飲まれて、日本と共に老い衰え、朽ち果ててていくか……
それとも、自分の人生を生きるのか……

2018年・春、「平成」という時代が終わるまで後1年ちょっと……。

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

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さらば日本!また合う日まで!!─オラ、海外さ行ぐだ

演歌歌手・吉幾三さんの出世作となった『俺ら東京さ行ぐだ』という歌がある。出身の青森県北津軽郡金木町の田舎ぶりをオーバーに歌った自虐ソングだ。発表されたのは1984年だが、吉さんが上京した1968年当時の「なんにもない」ふるさとを歌った曲である。

「俺ら東京さ行ぐだ」の替え歌はかなり作られているが、私も作ってみた。(元の曲を聴きながらどうぞ)

俺ら海外さ行ぐだ

自由も無エ 民主も無エ (「自由民主党」のどこが自由? どこが民主?)
経済もそれほど回って無エ (失われた10年は、20年から30年に)

嫁も無エ 子供も無エ (3人に1人が生涯未婚)
ネットで 毎日ぐーぐぐる (ググる)

朝起ぎて スマホ持ち (4人に3人がスマホ所有者)
二時間ちょっとの痛勤電車 (2時間はさすがにないか……。すし詰めなのは相変わらず)

彼女も無エ 親友も無エ (リア充爆発しろー)
クソリプは一日山と来る (勘弁してよ)

俺らこんな村社会いやだ
俺らこんな村社会いやだ

海外へ出るだ
海外へ出だなら 銭コア貯めで (円安なのでいっぱいいるね)
海外で大学出るだ (これからはアジアが熱い)

定時も無エ 有給も無エ (定時退社? 有給?)
生まれてこのかた 見だごとア無エ (そんなものは都市伝説)
年金も無エ 保険も無エ (年金もらえるの?)
まったぐ若者ア 俺一人 (高齢化社会だよね。2030年は3人に1人が高齢者)

あんちゃんと ねえちゃんと (最近は若い人も保守化)
スマホ握って自民に入れる (あんな政党のどこがいいのだろう?)

ゆとりも無エ 寛容も無エ (吹き荒れる自己責任論と弱者叩き)
たまに来るのはヘイトデモ (愛国のつもりだろうが日本の恥)

俺らこんな村社会いやだ
俺らこんな村社会いやだ

海外へ出るだ
海外へ出だなら 大学出て (そのまま大学院進学もあり)
海外で仕事 見つけるだ (日本のシューカツはバカバカしいしね)

残業代も無エ ボーナスも無エ (非正規ばかり)
ワークライフバランスは何者だ (日本にとってはくせ者)
労基法はあるけれど (憲法もあることはあるけど)
守る企業を見だごとが無エ (ブラック企業だらけ)
カネ無エ ヒマも無エ たまに来るのは請求書 (貧乏暇無し大変だ〜)
未来無エ ある訳無エ 俺らの村には覇気が無エ (日本自体が老いている)

俺らこんな村社会いやだ
俺らこんな村社会いやだ

海外へ出るだ
海外へ出だなら 仕事見つけて (しっかりスキル身につけて)
海外で嫁 見つけるだ (日本から連れて行くのもあり)

俺らこんな村社会いやだ
俺らこんな村社会いやだ

海外へ出るだ
海外へ出たなら 永住権取って (国によるけど3〜5年ぐらいで取得可能)
海外で幸せ 見つけるだ (自分の幸せだけでなく、次の世代の幸せもね)

東京はもはや憧れの街でも何でもない

東京への人口流入は相変わらず続いている。しかし、その流れも2025年で止まると予想されている。東京は相変わらずキラキラしているが、そんなものに惑わされてはならない。東京に行ったところで、「飛んで灯に入る夏の虫」になることは目に見えている。

ここまで書いていると、一昨年(2016年)夏に公開され、大ヒットした映画『君の名は。』を思い出した。作中では、東京に憧れている17歳の女子高生と、東京に住む男子高校生の夢の中で入れ替わるというストーリーだ。

もし、入れ替わったのが高校生同士ではなく、社会人同士だったらどういう展開になっていただろうか?

  • 三葉(in瀧君) 「毎晩毎晩残業いややー」
  • 瀧君(in三葉) 「女ってこんなに差別されてたのかよ……」

といことになることは請負だ。

入れ替わったのが、日本人と外国人だとしたら、外国人にとっては、完全な悪夢となりそうだ。

東京は世界有数の大都市だが、決して国際都市ではない。しょせんは巨大な村に過ぎない。そこに住む人たちのメンタリティーは封建的な村社会そのものだ。もちろん、「損得抜きで東京が好きだ」「東京の大学に進学する」「仲間と起業する」のような明確な理由があれば別だが、そうでなければ日本(特に東京)にとどまる理由はどこにもない。

日本自体が憧れの国ではない

ブログで幾度となく取り上げてきたことだが、日本は、労働環境も、子育て環境も、研究開発環境も、教育環境もお世辞にも優れているとはいえない。今後も改悪はされど改善される見通しはない。

日本を牛耳っているおっさんたちは、自分たちの保身のことで頭がいっぱいで、若者のことはこれっぽっちも考えていない。何か問題が発生しても、トカゲの尻尾切りで事を収めようとする。そんな国に未来はない極東の貧乏国として没落していくのがオチだ。

あなたは若くて優秀な人間だ。こんなゲゲゲなオワコン国家で貴重な若き日々を消耗し、優秀な能力を飼い殺しにされる必要はどこにもない

かつて地方に住む人たちが集団就職列車で上京したように、今こそ日本という村社会を後にするときだ。

世界に飛び出そう。あなたを必要とする人は必ずいる。

大海を知らない井の中の蛙から、大空を自由に駆け巡る渡り鳥になろうじゃないか。

いつの日か、「こんな村社会イヤだ─俺ら海外さ行ぐだ」が、遠い過去の笑い話になる日を信じて……。

世界

冒頭のリンク先記事は、「田舎には田舎の、都会には都会の良さがある」で閉じられていた。──しかし、今の時代に「村社会」に良さなんてない。なぜなら、民主主義と村社会は両立しないからだ。中世日本の安倍晋三酋長をその座から降ろし、さらに自民党という明治の亡霊を成仏させない限り、村社会から市民社会への脱皮はできないだろう。

先週末(2018年3月24日)、フロリダの銃乱射事件を受けて、全米で銃規制を訴える大規模なデモ*1が行われた。日本みたいな為政者の隠蔽と有権者の無関心がはびこる村社会*2出身の身からすると、民主主義が成熟している市民社会がすごく羨ましく思う。まるで東京に憧れる地方民のように。

セカ就!  世界で就職するという選択肢

セカ就! 世界で就職するという選択肢

仕事に「やりがい」を感じるのは結構、しかしそれを押しつけるな

「仕事=人生」「仕事にやりがいを感じる」「仕事を通じて自己実現しなければならない」──それらは大いに結構なことだ。しかし、あなたがそう感じていても、あなたの周りの人間が同じように感じているかどうかは分からない。だから、そういった「やりがい」を押しつけるべきではない。

「やりがい」を感じるかどうかなんて主観的なもの

仕事に対してやりがいを覚えたり、楽しく感じたりする……これはものすごく主観的なものである。

私は、ゲームに似ていると思う。

今は下火だが、一昨年(2016年)夏に「ポケモンGO」が世界中で大ブームになったことは記憶に新しい。街をウロウロして、卵を孵化させたり、経験値を稼いだりするプレーヤーが続出した。時には、レアポケモンを手に入れるためだけに遠出するプレイヤーもいたほどだ。ポケモンGOに興味が無い人からすれば、「いい歳こいた大人がポケモンポケモンってバカみたい」と思った人もいるだろう。

ポケモンGOに限らず、「ドラクエ」「FF」などのRPGでも当てはまる。キャラクターを強くするためには、何度も何度もザコ敵と戦っては経験値とギルやゴールドを稼がなければならない。HPが少なくなってきたらアイテムを使ったり、街に戻ったりして回復させるということの繰り返しだ。プレーヤーからすれば、それもゲームの楽しみの1つだが、ゲームに興味がない人から見れば、単純作業に他ならない。

仕事もそれと同じだ。「人それぞれ」という言い方は身も蓋もないのだが、仕事にやりがいを感じるかどうかは本来人それぞれであるはずだ。

社畜が「毎日お仕事お仕事、楽しいな♪ 今日もサービスサービス♪」と思っていても、社畜の同僚や部下までがそう感じているとは限らない。もしかしたら、「こんな会社嫌やぁ。でも、今のご時世では転職成功させる自信もあれへんし。あ〜あ、はよ終わってくれへんかいなぁ」と思っているかも知れないのだ。

仕事が楽しいかどうかは立場に大きく依存する

堀江貴文さんのサイト「ホリエモンドットコム」のページ最上部のタイトル下には、「働くって楽しい。働くって素晴らしい」と書かれている。この気持ちはよく理解できる。

仕事が楽しいと感じるのは、以下に挙げる項目のうち、複数に当てはまっている時だ。

  • 自分が好きなことを仕事にしている
  • 経営者や管理職などの権限が多い立場にある
  • 一緒に働く仲間(同僚・上司)と非常に馬が合っている
  • 順風満帆に物事が運んでいる

特に、経営者や管理職などの裁量が大きい立場にいるほど仕事にやりがいを感じる。逆に、ホワイトカラーであれ、ブルーカラーであれ、裁量が小さい立場にいるほど、仕事はルーチンワーク化し、やりがいは感じにくくなる。

私も、自分の(ウェブの)ためのアプリを開発している時は、「どういう機能を追加しようか」「デザインはどうしよう」と考えが目まぐるしく頭を駆け回り、「進捗状況は80%といったところか……。あとちょっとだな」と楽しめる。ところが、仕事として、他人のためのシステムを開発しているときは、そういうことはほとんど感じられなかった。

「やりがい」を劣悪な労働条件を押しつける免罪符にしてはならない

以前に、「労働条件よりも、まずやりがいを訊いてほしい」という記事があった。

これは、典型的な「やりがいの押しつけ」である。こういう風潮が社会全体に広がってくると、本当はやりがいを感じていないにも関わらず、「仕事はやりがいがあることだ」「仕事を通して自己実現しなければならない」などと信じ込む人が出てくる。「労働教」というカルト宗教の完成である。さらに、日本特有の同調圧力も加わって、労働教を否定する人間は徹底的に迫害される。

搾取する側から見れば、これほど都合が良いことはない。なぜなら、劣悪な労働環境を押しつける免罪符にできるからだ。

その結果、

  • 「この仕事はやりがいがあるから、賃金が安くてもいいだろ?」
  • 「やりがいがあるだろ? 楽しいだろ? 残業しろよ!」
  • 「自己実現できるのだから、たかが残業代ぐらいでグタグタ言うな!」
  • 「労働条件? そんなこと言っているのはお前だけだぞ!」

ということがまかり通ってくる。これこそが「やりがい搾取」である。

2020年東京五輪、高度な専門知識を有する人をボランティアとして無償で働かせようとする事案があり、ブラックだと批判が上がった*1。「オリンピックは世界最大の平和の祭典だぞ。一生に一度だぞ。やりがいあるぞ。やりがいがあるのだから、賃金いらないだろ?」と言わんばかりの手法は、まさに「やりがい搾取」の見本だ。「嫌だったら応募しなければいいだろう」というのはもっともだが、そこからは、高度な専門知識や技能を有する人へのリスペクトは微塵も感じられない。

やりがい=クソ

働くこと=商取引、「やりがい」なんて二の次

前回の記事でも書いたが、「働く」とは、人生そのものでも自己実現の手段でもなく、労働契約に基づいて役務を提供し、賃金をその対価として受け取る商取引に過ぎない。やりがいなんて二の次だ。そんなやりがいを前面に押し出したやりがいの押しつけは、やりがい搾取へとつながり、生産性を向上させたり、労働環境を改善したりすることへの足かせとなる。

人が仕事にやりがいを感じるのはその人の自由だが、それをさも当たり前のように押しつけるのは「大きなお世話」である。社畜の「やりがい」なんて「やり害」でしかない。「やりがい!? そんなものいらないから有給くれ」と言いたくなる。

ドラえもんの秘密道具の中に「そうなる貝セット」があって、その中の「やり貝」という貝殻を付けると、メキメキとやりがいを感じるようになって宿題がすらすら終わったというエピソードがあったが、社畜はいい加減に「やり貝」「サビ残しよう貝」から貝外脱出したらと思う。

仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える (幻冬舎新書)

仕事なんか生きがいにするな 生きる意味を再び考える (幻冬舎新書)

日本人に欠けている「働くこと=商取引」という考え方

今の日本を見ていると、そもそも「働くこと」の本当の意味を理解していない人が非常に多いように感じる。今回の記事は、「働くこと」に的を絞って書いてみる。

「働くこと」は、ただの商品売買(商取引)である。メルカリで何かを売るのと同じだ。何を売るのかと言えば、「自分の労働力」である。誰に売るのかと言えば、雇用主(企業)にである。

何度も言っていることであるが、企業が労働者の持つ労働力を商品として買い、それを使ってモノを生産し、剰余価値を生み出していく仕組みが資本主義である。

辞書から引用しておこう。

しほん‐しゅぎ【資本主義】〘名〙
生産手段をもつ資本家が労働者から労働力を商品として買い、その労賃を上回る価値をもつ商品を生産することによって利潤を得る経済体制。キャピタリズム。
明鏡国語辞典(C)Taishukan, 2002-2008
じょうよ‐かち【剰余価値】〘名〙
賃金労働者がその労働力の価値(賃金)を超えて生産する価値。これが資本家の利潤・利子・地代などの源泉となり、資本主義生産の決定的動機となる。◇マルクス経済学の基本概念の一つ。
明鏡国語辞典(C)Taishukan, 2002-2008
  • 働く人にとって、働く(雇ってもらう)とは「自分の労働力を商品として企業に売ること」
  • 雇う人にとって、雇う(働いてもらう)とは「従業員の労働力という商品を買うこと」

これ以上でもこれ以下でもない。

すべての商取引は契約である

では、商取引とは何だろうか? 売買契約に基づいて行われる取り引き行為である。コンビニでドリンクを買うのも、スマホアプリに課金するのも、メルカリで服を売買するのも、すべて売買契約に基づく取引である。売買契約は法的契約である故に、何らかの瑕疵があった場合、法律上の賠償責任が生じる。

そして、すべての役務の提供は契約した内容に基づく。契約にないことは求めないし、求められても応じる義務はない。

例えば、家のリフォームに来た工事担当者に、「ちょっと買い物行ってくるから子守しといて」とは言わない。家庭教師に「ついでに風呂掃除とお洗濯してね」とも言わない。そんなことを言えば、十中八九「私の仕事じゃないので」「それは契約にないでしょう」と断られる。それと同じだ。

リフォーム業者の仕事は、リフォームという役務を提供することである。家庭教師の仕事は、勉強を教えることである。

契約に基づいて役務を提供し、その対価を支払う─それが売買(商取引)である。

もし、契約という概念がなければ、世の中はめちゃくちゃになっているだろう。

「働くこと」に話を戻せば、労働も「労働力」という商品を企業と売買する商取引である。労働者にとって会社は、会社にとって労働者は、ただの取引相手に過ぎない。

働くこと=商取引

ガラパゴス化している日本の働き方

それにもかかわらず、契約という概念があやふやで、長時間労働やサービス残業などの理不尽が当たり前のようにまかり通っているのが、日本の労働環境だ。

なぜ「労働」になったとたんに、理不尽がまかり通るのだろうか?

  • 人間として成長させてくれる??
  • 生きがい??
  • 尊いこと??
  • 辛いことに我慢してこそ……??

完全に洗脳されているとしか言いようがない。ここまでくれば、「労働教」とでもいうべきカルト宗教か、「労道」という修行なのだろう。

修行において、写経をフリック入力で作ったり、寺の廊下をルンバに掃除させたり、ポテチ食いながら説法を聞いたりすることは許されない。「辛いことに耐えることで、人間としてより高みを目指す」のが修行なのだから。

※ 実際、新人研修の一環として寺で修行するケースもある。

日本と海外の「働くこと」の考え方

日本と海外の「働くこと」の考え方

日本では、働く事に対する意識のあり方がガラパゴス化している。

労働以外では、「契約に基づく取り引き」がちゃんとできている

メルカリで売るとき、相場が3万円の商品に「1万円まで値下げできませんか?」というコメントをもらうと、ほとんどの人は断る。メルカリに限らず、あらゆる商取引で、条件面で折り合いが付けられなければ、最初から取引はしない。契約成立後でも、契約通りに役務が提供されなければトラブルになり、場合によっては裁判になる。多くの人は「理不尽でも耐えることで人間として成長できる」なんてことは微塵にも感じない。なぜ「労働」だけ特別なのか理解に苦しむ。

「働き方改革」は「働くこと=商取引」という意識改革から

今、日本では「働き方改革」が取り沙汰されているものの、今ひとつうまくいっていないような印象を受ける。

就職するとは、会社と結婚して家族になることでもなければ、お寺に出家することでもない。会社に、労働契約に基づいて労働という役務を提供し、その対価として賃金をもらう─会社とそういう商取引の契約をすることだ。

働くことの意味を理解せずして、真の働き方改革なんて実現できない。

止まらない人口減に対応して、外国人労働者を受け入れるにしても「働くこと=契約」という考え方に基づいて対応することが求められる。職務内容は曖昧だわ、長時間働かされるわ、残業代はもらえないわ、休暇は取れないわ、抗議したら「嫌なら辞めろ」と言われるわでは、多くの外国人は日本で働きたいとは思わないだろう。

ネット通販やメルカリで何かを買うとき、出品者の評価が低く、評価コメントが「約束を守らない」であれば、取り引きを敬遠するのと同じように。

私たち日本人は、「働くこと」の意味を、もう一度原点に立ち返って、考え直してみるべきだろう。

働き方の問題地図 ~「で、どこから変える?」旧態依然の職場の常識

働き方の問題地図 ~「で、どこから変える?」旧態依然の職場の常識

世間や周りの冷ややかな反応より、自分の信念とファンを大切に……

何か新しいことを始めようとした時、それに対して冷ややかな視線を浴びせたり、ケチを付けたり、足を引っ張ったりする人は必ずと言っていいほど出てくる。特に前例がないことや、世間では一般的ではないとされることほど、批判的な声は大きくなる。

私に言わせれば、そんな批判の声なんかスルーしてしまえばいいと思う。

「世間の反応」なんて当てにならない

アップル社がiPhoneの前身であるiPodを発売した時、「あんなものは売れない」「音楽の違法コピーを助長するだけ」と言われていた*1。アップル社は、iPodの画面に「音楽を盗まないでください」というステッカーを貼り付けて売り出した。音楽を1000曲を持ち歩くという発送は当時は目新しく、大ヒットを記録した。改良を重ねていき、今のiPhoneへと繋がっていく。

今では非常に売れている任天堂スイッチも、発表された時は、「据え置き機としても携帯機としても中途半端」と言われ、期待外れと投資家の失望をかい、株価が下落した。*2

先日、マクドナルドが過去最高益を記録したというニュースを耳にした。こちらもカサノバ氏が就任したときは、散々な言われようだったことは記憶に新しいだろう。

これが世間である。いや、世間なんてこの程度のものだ。

子どもが成りたい職業第1位の「ユーチューバー」。そんな人気ユーチューバーの1人、HIKAKINさんも、堀江貴文さんとの対談で以下のように言っている。

HIKAKIN:僕の場合、動画をアップし始めた頃、周りのパフォーマーは口には出さないけど「いやいや、ネットなんかやっていてもダメだろう。お前、人前でパフォーマンスできるの?」という雰囲気でした。それでも、続けていくうちに手応えが出てきました。

堀江:日本人らしい反応だよね。リスクがまったくない挑戦でも何だかんだ言い訳してやらない。そのくせ、冷静に考えたらリスクだらけのことでも、みんながやっていると何の疑問も持たずにやるんだよね。

ちなみに、私が最初、海外に出る計画を周囲に話したとき、「どうせ3ヵ月持たず根を上げるだろう」「日本でダメな奴が海外で通用するわけない」といったありきたりな反応だった。まぁ、コミュ力ゼロのダメ人間だし。(笑)

9割の批判(敵)より、1割の賛同(ファン)を味方に……

周囲の声は気にせずに、自分が正しいことをしていると信じて、突き進んでいけばいいと思う。世間や周りの冷ややかな反応とは裏腹に、応援してくれる人(ファン)は必ずいる。

※ 蛇足だが、自分を信じると書いて「自信」となる。(英語でも"self-confidence")

私のブログは、アルファブログと呼ばれる人気ブログに比べたら足下にも及ばない。それでも、fc2ブログ時代(〜'13/08)からの読者の方もいる。Googleアナリティクスを見ていると、それなりに見られている。日本やサラリーマンに批判的なので、アンチな人もいるが。

何らかのメッセージをやり取りしたことがない方が大半ですが、私は読者の皆様に大変感謝しています。ありがとうございます。

※ 独裁国家でもない限り、99.9%という数字はありえない。「パレートの法則」(8:2の法則)に当てはめれば、8:2あたりに落ち着くだろう。

その過程で「自分が間違っているな」「おかしい方向に進んでいるな」と感じたら、都度軌道修正すればよい。時には自分の過ちを素直に認める勇気も必要である。(それができず、嘘を嘘で塗り固めようとする政治家も多いけど)

くれぐれも、「赤信号、みんなで渡って、みんな轢かれる」なんてことはないように。

以前にも書いたが、正しいかどうかを判断するのは、世間ではなく歴史である。

失敗してもOK

成功するかもしれない。失敗するかもしれない。仮に失敗しても命まで取られるわけではない。ゼロからやり直せばいい。

失敗すれば、アンチや悲観論者たちは「ほら見ろ! 言わんこっちゃない」「ざまぁ」と嘲ることだろう。しかし、私は以下のように思っている。

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海外脱出に限らず、転職でも起業でも恋愛でも、多くのことに当てはまる。

「ワシも若い頃、思い切って海外に飛び出していれば良かった」「あの時、デートに誘えば良かった」「(成功した奴と)同じこと考えてたのに……俺は何で行動に移せなかったんだろう!?」といった声も現実にあるわけだし。

特にネットで匿名でギャーギャーと足を引っ張っている連中は、やるべき事を、然るべき時にできなかった人たちではないかと私は思っている。だから、同類で集い、自分より上を見ては嫉妬心を露わにしながら足を引っ張り、自分より下を見ては優越感に浸りながら蔑んでいるのだろう。(そうやって歳を取って死んでいくのかなぁ。南無……)

故スティーブ・ジョブズのように「今日を人生最後の日だと思え」などと言うつもりはないが、後になって「あぁ、あの時ああしてればよかった……」とは、なるべく言いたくないようにしたいものだ。

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく

死にゆく国─人口減で日本はこうなる

私が予想する21世紀後半の日本は次のような感じだ。(それまでに日本が巻き込まれる戦争が起きなければ話だが)

西暦20xx年、日本……。

日本上空を飛ぶ飛行機から……

  • 「見ろ、至る所に廃墟が見えるぞ!」
  • 「道路は凸凹で穴だらけみたい。おまけに橋は落ちたままだね」
  • 「あれは作りかけのリニアだ。工事は中断して長年放置されたままだよ」
  • 「あそこに見えるのは『新幹線』と呼ばれた高速鉄道の残骸かな?」

地上に降り立つと……

  • 「のどが渇いたな……水でも飲むか」
  • 「水道水なんか飲んじゃダメダメ! お腹壊しちゃうよ」
  • 「日本って水道水飲めるんじゃなかったっけ?」
  • 「いつの時代の話だよ。浄水設備の劣化で水道水は飲用には適さなくなったんだよ。水だったらコンビニで買うしかないよ」

街に観光に出かけると……

  • 「ここってあの有名なアニメ映画の聖地だよね」
  • 「そうだよ」
  • 「見る影もないほど朽ち果ててるね」
  • 「あの建物は学校かな? 廃校っぽいね。校舎はぼろぼろだし、グラウンドも雑草がぼうぼうだ。かなりの年月が経過しているみたいだね」
  • 「2軒に1軒は空き家らしいし、残っている人もほとんどは高齢者だよ。子供がいないからねぇ」
  • 「この先に団地があるはずなのに、道路に立入り禁止のロープが張ってあるね」
  • 「この先の団地はもう誰も住んでいない。倒壊の恐れがあって危険だから、区画ごと立入り禁止にしてるんだよ。取り壊して更地にするにも費用がかかるからねぇ」
  • 「街自体が老いているみたいで、何か寂しいなぁ……」
  • 「あそこにあるのはスタジアムかな? スポーツ観戦でもしよう」
  • 「あぁ、廃墟だった……」
  • 「国内のプロスポーツチームは統廃合が進んだ。人口減少でマーケットが縮小したことに加え、少子化でプロを目指す子どもの数も激減して、競争が緩んだことで選手の層も薄くなったんだよ」
  • 「あの廃墟になっているスタジアムも、30年前は優勝争いをして、大歓声がこだましてたんだよ」
  • 「はぁ〜。もうホテルに行くよ」

ホテルでは……

  • 「テレビでも見るか……」
  • 「あれれ……健康番組とか、昭和末期〜平成を舞台にした時代劇とか、お年寄りが好みそうな番組ばっかり」
  • 「人口の半分以上は高齢者だからね。子ども向けの番組を放送しても数字がとれないしねぇ」
  • 「あっ、面白そうな番組があったよ。『世界に輝いていたニッポン〜スゴかったですね!!敬老団』だって」
  • 「それも高齢者向け。じいちゃんばあちゃんが経済大国にして超先進国だった頃に日本に思いを馳せる番組だよ」
  • 「なんだよ〜それ」

翌日、東京に行くと……

  • 「このホームドアは可動式だよね? 開けっ放しだよ」
  • 「きっと壊れてるんだよ」
  • 「この駅、やけに暗いね。電気が半分しか付いてないよ」
  • 「ホームの長さは15両分なのに、6両編成の電車しか来ないね」
  • 「車内には液晶モニタが付いているけど、何も映ってないよ。あっちの液晶は割れたままだ」
  • 「○○線は車両故障で運転見合わせ中なんだって。故障が多いよねぇ」
  • 「街を行き交う人たちの表情もなんか暗いね」

そこにお年寄りが現れて……

  • 「山手線は11両もあって、ひっきりなしに電車が来ては、多くの乗客でどこの駅もごった返しておってのう。あまりの乗客の多さで、ドアが開かなかったり、窓ガラスが割れたりすることもあったのじゃ。かれこれ50年以上も前の話じゃがな」
  • 「この国はものすごくエネルギッシュな国だったんですね」
  • 「あぁ、そうじゃとも。GDPは世界第2位、1人あたりのGDPも世界第2位。ノーベル賞受賞の常連国じゃった」
  • 「なぜ、この国はこんなに無様に落ちぶれてしまったんですか?」
  • 「長い話になるが……」
  • 「あなたはもしかして『伝説の企業戦士リーマン・シャーチック』では?」

夏草や社畜(つわもの)どもが夢の跡……

廃墟

ベタなストーリーだが、こんな会話が交わる日が現実となるかもしれない。5年10年でこのようになることはないが、50年100年先を見据えると……。

貧しくても、明るい国民性であれば「飲んで歌って笑って恋をして、太く短く生きよう」というのもありだが……日本は「孤独の国」なので望み薄である。

未来の年表 人口減少日本でこれから起きること (講談社現代新書)

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縮小ニッポンの衝撃 (講談社現代新書)

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日本はもはや先進国ではない

「確かに日本は以前ほどの勢いはないけど、まだまだ豊かな先進国じゃん」というのは、典型的な00年代思考である。日本のGDPが中国に抜かれて世界第3位に転落したのが2011年のことであるが、今では3倍近い開きがある。

「日本をべた褒めする外国人が増えてるじゃん」というのは、愛国ポルノ(日本賞賛番組)の見過ぎである。この手の番組が増えていること自体、自信の無さの現れだろう。

認めたくない人もいるだろうが、事実は事実である。

格差が拡大しているのは、日本に限らず海外でも共通である。経済、産業や技術といった面では、日本が一人負けし続けている。

ただの偶然が重なっただけとは言えない。日本の「終わり」が始まっているのだろう。

なぜこうなったのか?……完全な失政であろう。

女性の登用はできず、外国人労働者の受け入れは進まず、イノベーションは起こらず、画一的な教育のあり方は変わらず、長時間労働を是認する働き方は変化せず……etc。まるで高度経済成長期の亡霊に取り憑かれているかのように、旧態依然なやり方を変えようとしなかったのが原因ではないか。

日本はオワコンのブラック国家。しかし……

ただ、1つだけ言えることがある。

(先進国としての)日本はオワコンかもしれないが、あなたの人生はオワコンではない

ちっぽけな自分を、強大な国家と一体化すると、どうしても「日本はスゴい=自分もスゴい」「日本はもうダメ=自分ももうダメ」となってしまう。しかし、自分を国家と切り離し、独立した「個」と見なせば、「日本がダメなら海外だ」「俺たちで新しい国を作ろうぜ」と気概が生まれてくる。

以前の記事でも書いたのだが、価値を生み出せる人間になって、前途多難なグローバル時代を生き残ろうではないか。戦前・戦中と違って、私たちは自由なのだから。

世界で働く人になる!

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©2018 だから僕は海外に出る、さあ君も by 佐野由自