以前、日本の実家に行った。私の実家は、高度経済成長期に造成されたニュータウンにあるのだが、「オールドタウン」という言葉がぴったりなほど、街自体が高齢化していることを肌で感じた。
「老人ホーム化」していく日本
以前、このようなことをツイートした。
日本に行って、外国人観光客の数が増えたなぁと実感したけど、実家の近所の公園に健康器具が設置されたり、健康番組が増えたりしたのを見ると、高齢化も進んでいることも実感した。
— ガラニート (@GalaNEET) 2018年2月25日
なんか日本という国自体が老人ホームになって、若者は老人のために働くスタッフになりつつあるように思う。
他にも、
- 子どもたちのかけ声が響いていた公民館の体育館は、中高年のスポーツ・ダンスサークルが多く開かれていた。
- 救急車の出動回数が増えた
- 紅葉マークをつけた車が増えた
- 母校の全学級数は、私が在校していた頃の3分の1にまで減少
といったことが気になった。
人口減少とか自治体消滅とか叫ばれて久しい。どこか遠い画面の向こうの世界にしか思えなかった。しかし、自分の生まれ育った街が衰退しているという姿を目の当たりにしたとき、何とも言えないもの悲しい気持ちになった。
平日昼間から庭の手入れをしたり、犬を散歩させたり、スポーツに勤しんだりしている高齢者が多い。まだ頑健な人が多い印象だが、彼らは後期高齢者になっていく。歳を取れば取るほどに認知症になったり、疾病を患ったりする確率も増えていく。今後は施設に入る高齢者も増えていくだろう。彼らの子どもたちは、既に自立していることが多いため、誰も住まなくなった家は空き家となる。20年後には別の様相を呈していることだろう。
私の実家の街だけでなく、日本全国の自治体で現在進行形で起こっている出来事である。私は、日本という国自体が老いつつあるように思えた。
『老年期の終り』
国が老いる──私は、ふと『老年期の終り』という藤子不二雄の超短編漫画を思い出した。初出が1978年というからかなり古い作品だ。
『老年期の終り』梗概
銀河の中心に位置する惑星ラグラング──そこに、地球から来た1人の少年(イケダ)がたどり着く。イケダはコールドスリープ(人口冬眠)で長い眠りについていたが、ラグラングに住む医者の卵であるマリモの手で目覚める。イケダは、未知の文明との接触を求めて、6000年前の2057年にに地球を旅立ったのだった。長い年月をかけてようやく異星文明にたどり着いたと思い歓喜に震えるイケダであったが、翌日にはラグラングの住人と共に60日で地球に帰ることを知らされ、愕然として気を失ってしまう。
ラグラングの資料を整理する司書にしてマリモの祖父であるゲヒラ老人は、イケダに人類の歴史を語り始める。実は、イケダが旅立って150年後の23世紀半ばにワープ航法が開発され、人類は銀河の隅々まで探索可能になったのだという。そして人類は、資源、異星文明、植民地を求め、宇宙へと飛び出した。ラグラングは銀河の開発拠点とされた星だったのだ。
「まさに爆発的なエネルギーだったよ。あのころが『人類』の『青年期』だったのだろうね」とゲヒラ老人は言う。人々がラグラングを後にするのは、開発拠点としての役割を終えたからだという。
「銀河系が開拓され尽くしたわけじゃない。意欲を失ったのだ。いわば『人類』という種全体が青年期を過ぎて…………老年期に入ったんだよ」
「まず出生率の低下だな。連邦の人口は急速に減少しつつある。文化の停滞も問題だ。ここ三百年ばかりこれという発見も発明も何もない。何よりもはっきりしているのは……新しい物に目を向けようとしなくなったことだ。人類全体の性向がそうなっている。わしのように古い記録をあさっていると昔の人と現代人の違いにがく然とすることがある」
地球に帰還する日、イケダは乗ってきた宇宙船でまた旅立とうとする。止めようとするマリモにイケダは言う。
「行けるところまで行くさ。手をつかねて亡びを待つなんてぼくの性に合わないんだ。ほんのわずかでも可能性が残されてるかぎり、ぼくはそれを追ってみたいんだ」
そしてマリモはイケダに付いていくことを決める。
イケダとマリモを見送りながら、ラグラングにただ1人残ることを決めたゲヒラ老人は思う。
「我々からずっと前に失われていものがここにあった。未知に挑む勇気、明日を信じる若さ。遠い将来 遠い星で新しい人類が再出発するかも知れぬ」
※ 『老年期の終り』の詳しい情報はGoogle検索して。
作中に古いアメリカ民謡である『マギー若き日の歌』が登場する。
マギー若き日の歌を 堀内敬三訳詞・ J.A.バターフィールド 作曲 When You And I Were Young, Maggie
その歌詞を引用しておく。
「老人化」していく日本
この作品を読むと、今の日本と重ね合わさずにはいられない。現在進行形で起きている出生率の低下、少子高齢化と急激な人口減に加え、草食系やマイルドヤンキーと呼ばれる上昇志向がない若者の増加は、作品の背景とそっくり重なる。
実際、1990年代以前の若者と現在の若者を比べると、その違いに愕然とするのではないか。
かつての若者であれば、良い仕事について、高い給料をもらって、クールな車を買って、魅力的な女性をデートに誘って、結婚して子どもを持って、良い家を買って……といったことが当たり前であった。今日では、出だしである「良い仕事に就く」ということ自体が困難な時代だ。よく「若者の○○離れ」と聞くが、その背景に格差拡大に加え、日本を覆う閉塞感・厭世観があることは間違いない。
それに対して、
- 「日本がダメなら海外に出ればいい」
- 「就職するのではなく起業すればいい」
- 「失敗したら何度でもやり直せばいい」
- 「日本というシステムに欠陥があるなら、少しずつでも直していけばいい」
というのが常日頃の私の主張だ。共感してくれる人はたくさんいるのだが、日本全体から見ればマイノリティーの部類に入ることは否めない。
最近よく考えるのが「老いる」ということ。若いころ想像していた「老いる」というのは「いままで出来たことができなくなっていく」というものだった。でも実際には少し違う部分があった。「出来なくなる」以前に「したくなくなる」「興味がなくなる」「どうでもよくなる」という感覚がある。
— 結城浩 (@hyuki) 2014年1月10日
どこまでも嘘を嘘で塗り固める戦後最低最悪の安倍政権だが、'00年代以前の日本であれば、あのようなことがあれば、間違いなく退陣に追い込まれていただろう。「他に適切な人がいない」という理由があっても、お灸を据えることぐらいはできたはずである。そうならないのは、おそらく多くの日本人が「誰がなっても一緒」「もうどうでもいい」と諦観の境地に達しているのだろう。海外から見ると、日本の民主主義はまだまだ成熟していないが、成熟する前に終わろうとしている。
そして、老いから死へ……
手をこまねいてただ滅びを待つという人が多いのは、『老年期の終り』のように、日本人という民族そのものが老いているからかも知れない。それとも、日本流の滅びの哲学なのだろうか。
先日の記事中で、日本の未来を想像した架空のストーリーで、「上空から見れば日本の至る所に廃墟が見える」と書いたが、廃墟は日本という国の墓標のようにさえ思えてくる。
日本を覆う瘴気に飲まれて、日本と共に老い衰え、朽ち果ててていくか……
それとも、自分の人生を生きるのか……
2018年・春、「平成」という時代が終わるまで後1年ちょっと……。
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