だから僕は海外に出る、さあ君も

「日本って何か変だなぁ」という疑問を胸に、思い切って海外脱出した著者が、海外からの視点で日本の社会問題や海外脱出アドバイスを綴るブログ。日本の奴隷的な長時間労働にうんざりしている人、ナショナリズム台頭・人口減・財政難の日本の行く末を危惧している人、協調性という名の同調圧力に耐えられない人、とにかく自分の殻を破ろうと思っている人、そんなあなたに『海外に出ること』を選択肢の1つとして提案する。

だから僕は海外に出る、さあ君も - ニートのガラパゴス日本脱出日記

ガラパゴス化している日本の奴隷的な労働環境と保守的な社会構造に適応できずに海外脱出したニートが海外視点で綴るブログ

仕事なんかクソだろ? 就活やめて日本を出よう! 奴隷やめて海外に出よう! 語学を学び世界に出よう! 「仕事なんてクソだろ」が売り文句の「ニートの海外就職日記」に影響を受けた、あるニートのブログ

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仕事に「やりがい」を感じるのは結構、しかしそれを押しつけるな

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「仕事=人生」「仕事にやりがいを感じる」「仕事を通じて自己実現しなければならない」──それらは大いに結構なことだ。しかし、あなたがそう感じていても、あなたの周りの人間が同じように感じているかどうかは分からない。だから、そういった「やりがい」を押しつけるべきではない。

「やりがい」を感じるかどうかなんて主観的なもの

仕事に対してやりがいを覚えたり、楽しく感じたりする……これはものすごく主観的なものである。

私は、ゲームに似ていると思う。

今は下火だが、一昨年(2016年)夏に「ポケモンGO」が世界中で大ブームになったことは記憶に新しい。街をウロウロして、卵を孵化させたり、経験値を稼いだりするプレーヤーが続出した。時には、レアポケモンを手に入れるためだけに遠出するプレイヤーもいたほどだ。ポケモンGOに興味が無い人からすれば、「いい歳こいた大人がポケモンポケモンってバカみたい」と思った人もいるだろう。

ポケモンGOに限らず、「ドラクエ」「FF」などのRPGでも当てはまる。キャラクターを強くするためには、何度も何度もザコ敵と戦っては経験値とギルやゴールドを稼がなければならない。HPが少なくなってきたらアイテムを使ったり、街に戻ったりして回復させるということの繰り返しだ。プレーヤーからすれば、それもゲームの楽しみの1つだが、ゲームに興味がない人から見れば、単純作業に他ならない。

仕事もそれと同じだ。「人それぞれ」という言い方は身も蓋もないのだが、仕事にやりがいを感じるかどうかは本来人それぞれであるはずだ。

社畜が「毎日お仕事お仕事、楽しいな♪ 今日もサービスサービス♪」と思っていても、社畜の同僚や部下までがそう感じているとは限らない。もしかしたら、「こんな会社嫌やぁ。でも、今のご時世では転職成功させる自信もあれへんし。あ〜あ、はよ終わってくれへんかいなぁ」と思っているかも知れないのだ。

仕事が楽しいかどうかは立場に大きく依存する

堀江貴文さんのサイト「ホリエモンドットコム」のページ最上部のタイトル下には、「働くって楽しい。働くって素晴らしい」と書かれている。この気持ちはよく理解できる。

仕事が楽しいと感じるのは、以下に挙げる項目のうち、複数に当てはまっている時だ。

  • 自分が好きなことを仕事にしている
  • 経営者や管理職などの権限が多い立場にある
  • 一緒に働く仲間(同僚・上司)と非常に馬が合っている
  • 順風満帆に物事が運んでいる

特に、経営者や管理職などの裁量が大きい立場にいるほど仕事にやりがいを感じる。逆に、ホワイトカラーであれ、ブルーカラーであれ、裁量が小さい立場にいるほど、仕事はルーチンワーク化し、やりがいは感じにくくなる。

私も、自分の(ウェブの)ためのアプリを開発している時は、「どういう機能を追加しようか」「デザインはどうしよう」と考えが目まぐるしく頭を駆け回り、「進捗状況は80%といったところか……。あとちょっとだな」と楽しめる。ところが、仕事として、他人のためのシステムを開発しているときは、そういうことはほとんど感じられなかった。

「やりがい」を劣悪な労働条件を押しつける免罪符にしてはならない

以前に、「労働条件よりも、まずやりがいを訊いてほしい」という記事があった。

これは、典型的な「やりがいの押しつけ」である。こういう風潮が社会全体に広がってくると、本当はやりがいを感じていないにも関わらず、「仕事はやりがいがあることだ」「仕事を通して自己実現しなければならない」などと信じ込む人が出てくる。「労働教」というカルト宗教の完成である。さらに、日本特有の同調圧力も加わって、労働教を否定する人間は徹底的に迫害される。

搾取する側から見れば、これほど都合が良いことはない。なぜなら、劣悪な労働環境を押しつける免罪符にできるからだ。

その結果、

  • 「この仕事はやりがいがあるから、賃金が安くてもいいだろ?」
  • 「やりがいがあるだろ? 楽しいだろ? 残業しろよ!」
  • 「自己実現できるのだから、たかが残業代ぐらいでグタグタ言うな!」
  • 「労働条件? そんなこと言っているのはお前だけだぞ!」

ということがまかり通ってくる。これこそが「やりがい搾取」である。

2020年東京五輪、高度な専門知識を有する人をボランティアとして無償で働かせようとする事案があり、ブラックだと批判が上がった*1。「オリンピックは世界最大の平和の祭典だぞ。一生に一度だぞ。やりがいあるぞ。やりがいがあるのだから、賃金いらないだろ?」と言わんばかりの手法は、まさに「やりがい搾取」の見本だ。「嫌だったら応募しなければいいだろう」というのはもっともだが、そこからは、高度な専門知識や技能を有する人へのリスペクトは微塵も感じられない。

やりがい=クソ

働くこと=商取引、「やりがい」なんて二の次

前回の記事でも書いたが、「働く」とは、人生そのものでも自己実現の手段でもなく、労働契約に基づいて役務を提供し、賃金をその対価として受け取る商取引に過ぎない。やりがいなんて二の次だ。そんなやりがいを前面に押し出したやりがいの押しつけは、やりがい搾取へとつながり、生産性を向上させたり、労働環境を改善したりすることへの足かせとなる。

人が仕事にやりがいを感じるのはその人の自由だが、それをさも当たり前のように押しつけるのは「大きなお世話」である。社畜の「やりがい」なんて「やり害」でしかない。「やりがい!? そんなものいらないから有給くれ」と言いたくなる。

ドラえもんの秘密道具の中に「そうなる貝セット」があって、その中の「やり貝」という貝殻を付けると、メキメキとやりがいを感じるようになって宿題がすらすら終わったというエピソードがあったが、社畜はいい加減に「やり貝」「サビ残しよう貝」から貝外脱出したらと思う。

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©2018 だから僕は海外に出る、さあ君も by 佐野由自