だから僕は海外に出る、さあ君も

「日本って何か変だなぁ」という疑問を胸に、思い切って海外脱出した著者が、海外からの視点で日本の社会問題や海外脱出アドバイスを綴るブログ。日本の奴隷的な長時間労働にうんざりしている人、ナショナリズム台頭・人口減・財政難の日本の行く末を危惧している人、協調性という名の同調圧力に耐えられない人、とにかく自分の殻を破ろうと思っている人、そんなあなたに『海外に出ること』を選択肢の1つとして提案する。

だから僕は海外に出る、さあ君も - ニートのガラパゴス日本脱出日記

ガラパゴス化している日本の奴隷的な労働環境と保守的な社会構造に適応できずに海外脱出したニートが海外視点で綴るブログ

仕事なんかクソだろ? 就活やめて日本を出よう! 奴隷やめて海外に出よう! 語学を学び世界に出よう! 「仕事なんてクソだろ」が売り文句の「ニートの海外就職日記」に影響を受けた、あるニートのブログ

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労働条件を聞いて何が悪い

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プレジデントオンラインに「『仕事内容』より『労働条件』ばかりを聞く学生はいらない」という記事が掲載された。

100年前で思考停止している日本企業

私は「労働条件を聞いて何が悪い!?」と言いたい。こういうのを見ていると、企業の側はいつまで「雇ってやっている」っていう上から目線なんだろうかと思わずにはいられない。

そういう考え方は、200年前の産業革命が起きた時のヨーロッパそのものである。当時は、経営者の方が圧倒的に強く、「雇ってやっているんだぞ、ありがたく思え! 文句があるなら辞めろ! お前の代わりなんていくらでもいるんだ」だったから。日本の場合、大正デモクラシーの頃に、労働者の声が大きくなっていった。

※1920年5月に第1回メーデーが開かれ、1921年に日本労働総同盟に結成された。

採用担当者が強調するのは、労働環境がよいか悪いかよりも、仕事にやりがいを持てるかどうかを重視してほしいということです。

こういう「やりがいがあるから労働環境なんかどうでもいいだろ」という考えをやりがい搾取という。大正時代の「仕事があるんだから労働環境なんかどうでもいいだろ!嫌なら辞めろ」という思考そのものである。

中堅商社の採用担当者は「労働者の権利だけを振りかざすような社員は会社のリスクにつながり、排除したいと思う経営者も多いのではないか」と指摘します。

私は、「労働者の権利をないがしろにするような会社は社会のリスクにつながり、排除したいと思う人も多いのではないか」と指摘したい。

労働とは契約である

契約現代社会において、労働とは労働契約の上に成り立っていることを忘れるべきではない。

例えば、家を建てたり、リフォームしたりするときのことを考えてみよう。購入者は担当者と、「間取りは……」「建築基準法では……」「外壁は……」「ガレージは……」「費用は……」「工期は……」と様々なことを細かく話し合い、折り合いが付いたら契約という流れになる。

労働も同じである。企業と応募者の労働条件(職務内容・労働時間・待遇など)を話し合い、双方が納得したところで「一緒に働きましょう」となる。

学生のバイトの面接を想定してみよう。

「月曜日は来られますか?」
「月曜日は、授業が朝から晩まであるので無理です。火曜日と金曜日でしたら、授業は午前中だけなので、午後から働けます」
「○月○日からは期末テストがあるので、その期間は働けません」

このように、応募者と求人側が、労働条件を話し合う。うまく折り合いがついたら、「では、○日から来てください」といった感じで採用決定となる。

就職というのも、基本的にはこれと同じである。

海外にあって日本にないもの—ジョブディスクリプション

海外企業では一般的だが、日本企業では一般的ではないもの、それは「ジョブディスクリプション」(Job Description)である。日本語に訳せば「職務記述書」といったところだ。

求職者は、エントリーシート、履歴書や職務経歴書で自分のキャリアやスキルを書き、企業がそれを元に書類選考する。それと同じように、求人する企業は、ジョブディスクリプションという職務内容、求められる成果や待遇などの労働条件を事細かに記載したものを用意する。このジョブディスクリプションをいかにうまく作れるかがリクルーターの才能でもある。適当なジョブディスクリプションしか作れない会社には、有能な人材はやってこない。

必要な人材よりオーバースペックな人材を求めるジョブディスクリプションを作ると、応募が来ないか、応募が来て採用に至っても、「ここは役不足だな」と辞められてしまう。逆に、アンダースペックな人材を求めると、「こいつ仕事できねーじゃん」ということになる。きちんとしたジョブディスクリプションを作ることは、すごく大事なこと。

ジョブディスクリプションの見本サイト (英語)

採用後の仕事も、このジョブディスクリプションに基づく。もしジョブディスクリプションにない仕事を命じられれば、「それは私の仕事じゃありません」と突っぱねればいい。ジョブディスクリプションにない仕事を命じることは、寿司屋に電話して、寿司と一緒にピザを頼んでいるのと一緒だから。そんな注文をすれば、「うちは寿司屋でぃ!」と断られるのが落ちだろう。

このジョブディスクリプションというものを初めて聞いたという人も多いだろう。日本企業の採用案内を見ても、会社概要だったり、社長のメッセージだったり、先輩社員の声だったりする。しかも、ハンバーガーの見本のように、やたらと誇張されている。(笑) 求める人材像も、「主体的に物事を考えられる人」「コミュニケーション能力がある人」という曖昧なものばかり。

日本企業は一体全体いつまでこんな昭和な雇用慣行を続けていくつもりだろうか?

そんなことばかりしているから、人口減少に歯止めがかからず、海外の優秀な人材が日本に来るどころか、有能な日本人の海外流出が起こるのではないか。出国税で富の海外流出は防げても、頭脳の海外流出は止められない。

日本企業は、自分たちの雇用・労働のあり方がガラパゴス化していることにいい加減気づくべきだろう。

最後に……私たちもしっかり学ぶ必要がある

以下の部分だが、これについては私も同意する。

付け焼き刃的に損得だけの労働法の知識の前に教えるべきことがあるのかもしれません。

ネット普及のおかげで、ブラック企業という言葉が一般的になったり、日本の労働環境のガラパゴスぶりもよく知られたりするようになった。しかし、ネットで得られる薄い知識だけで満足するべきではない。「働く」ということについて、その意義や歴史を含めて包括的に学び、考えていくべきではないかと私は思う。

働くとはどういうことなのか、どういう経緯で労働法ができたのか、なぜ憲法で労働者の権利が保障されているのか……etc。

それらを学ぶことで、おぼろげながらに見えてくるものもある。

もういちど読む山川日本近代史

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