だから僕は海外に出る、さあ君も

「日本って何か変だなぁ」という疑問を胸に、思い切って海外脱出した著者が、海外からの視点で日本の社会問題や海外脱出アドバイスを綴るブログ。日本の奴隷的な長時間労働にうんざりしている人、ナショナリズム台頭・人口減・財政難の日本の行く末を危惧している人、協調性という名の同調圧力に耐えられない人、とにかく自分の殻を破ろうと思っている人、そんなあなたに『海外に出ること』を選択肢の1つとして提案する。

だから僕は海外に出る、さあ君も - ニートのガラパゴス日本脱出日記

ガラパゴス化している日本の奴隷的な労働環境と保守的な社会構造に適応できずに海外脱出したニートが海外視点で綴るブログ

仕事なんかクソだろ? 就活やめて日本を出よう! 奴隷やめて海外に出よう! 語学を学び世界に出よう! 「仕事なんてクソだろ」が売り文句の「ニートの海外就職日記」に影響を受けた、あるニートのブログ

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入学式だろうが通常日だろうが有給休暇取得は労働者の権利

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埼玉で県立高校教師が勤務先の入学式の日を休んで、自分の高校生の子供の入学式に出席していたことが判明し問題となっている。そんなことに目くじら立てて、ニュースにするなんて日本ぐらいのもの。相変わらず、日本の労働環境や仕事観のガラパゴスぶりを遺憾なく発揮している。(笑)

担任、息子の入学式へ…高校教諭勤務先を欠席、教育長が異例の注意 (埼玉新聞)

仕事よりプライベート優先のどこが悪い!?

教師有給休暇は、労働者に認められた権利である。その権利を行使して何が悪いのだろうか?法律で認められた権利を堂々と行使して咎められるなんて、法治国家が聞いて呆れる。あっ、日本は法治国家ではなく、「空気」が治める「気治国家」だっけ。(笑)

こういうことを言うと、必ずと言ってよいほど、「権利を主張する前に義務を果たせ」という声が出てくる。しかし、その主張は的を射ていない。よく言われる「権利と義務の関係」は、「お金を貸した人が、借りた人に返済を求める権利(=債権)を持っているとすれば、借りた人は貸した人に返す義務(=債務)がある」といったような時に使う。有給休暇の例に当てはめると、有給取得の権利は、労働者が働き始めてから6ヵ月経過し、出勤率が8割以上であった時点で生じる。そして、労働者が有給を申請した時点で、雇用者は有給を与える義務が生じる。これが有給休暇における権利と義務の関係である。

雇用者には「時季変更権」が認められているが、今回のケースのように、事前に届けを出していて、わずか1日の有休使用、しかも代替職員もいる。時季変更権なんて認められないであろう。そもそも有休使用の理由なんか尋ねるべきですらない

教師は「聖職」ではなく、知識を売る労働者

高校教諭が入学式を欠席 「息子の入学式に出席のため」という理由は許されるか

ネット上には、「有給休暇は労働者の権利であると言ったとしても、教師は『聖職』であり、一般企業のサラリーマンとは違う」という主張もある。しかし、教師もサラリーマンも同じである。一般企業に例えると、会社=学校、商品=教育サービス、顧客=保護者・生徒ということになる。教師とは、「数学」や「社会」といった知識を売る労働者である。労働者である以上、雇用契約に基づいて、労働に従事している。雇用契約は、労働基準法に沿ったものでなければない。

教えるべきは「職業倫理」という名の精神論ではなく、労働者の権利

警察官や消防隊のような職業で、人命がかかっているような状況ならまだしも、たかだか教師が私事を優先して入学式の日を休んだだけで「教師として倫理観がない」などと精神論で非難される筋合いはない。非難している社畜とモンスターペアレントは、バカも休み休み言え。

ブラック企業が社会問題化し、女性の社会進出やワークライフバランスの促進が叫ばれている中、正しい知識を授けるべき教育機関がこれでは、開いた口がふさがらない。

学校側はむしろ、最近問題になっているブラック企業の問題を持ち出して、労働者の権利やワークライフバランスの大切さについての話をするべきではないか。いっそのこと、最初の社会の授業を、この問題についてのディベート(賛成派と反対派に分かれて、討論すること)にすればよい。先進的な欧米の教育では、ディベート授業はよくある。

働くことを神聖化し、お互い足を引っ張り合う日本

入学式の日に担任が、自分の子供の入学式を優先して休むことで、生徒に一体どれくらいの影響が生じているのだろうか?代わりの先生が来て「今日は○○先生は、お休みです」と言って、生徒は「あっ、そうなんだ」程度で終わりではないか。新しい先生を楽しみにしていたとしても、それが1日伸びただけである。今回のケースでは、お詫びの文章を事前に作成して新入生に配っている。本来であれば、ニュースになるほどのことではない。それにも関わらず、この程度のことがニュースになって、SNSで数千を超えるシェアが行われるところを見ていると、相変わらず日本では働くことが宗教のように神聖化されていると思わずにはいられない。

公のために、私(プライベート)を犠牲にすることを強要される滅私奉公の日本社会。なぜ、プライベートを犠牲にしてまで、仕事を優先しなければならないのだろうか?その先に何があるのだろうか?

私は、過去の過去に書いたエントリー「休むこと=悪と見なす日本社会がみんなを不幸にする」が、今回のケースにもそっくり当てはまる。

些細なことで目くじらを立てて、足を引っ張り合う日本社会が、自分たちの社会をぎすぎすして住みにくい社会にしていることに気付かないのだろうか?もっと広い視野を持って、合理的に物事を考えようよ。

労働者を過労死するまで働かせる倫理のかけらもないブラック企業問題が取り沙汰されている中で、正当な権利を主張することを「論外」と切り捨てるあなたの考え方こそ「論外」である。

県教育局は「教員としての優先順位を考え行動するよう指導する」としている。

精神論全開の職業倫理と、法律で定められた労働者の権利とでは、どちらの方が優先順位が高いか、こちらの方こそ指導したいものである。はぁ。(ため息)

労働教に洗脳された頭が近世(19世紀)でストップしている社畜教師は、最高法規である憲法で労働者の権利が保障されている理由を10万字以上の論文としてまとめておくように。これ、宿題ね。(笑)

ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)

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