だから僕は海外に出る、さあ君も

「日本って何か変だなぁ」という疑問を胸に、思い切って海外脱出した著者が、海外からの視点で日本の社会問題や海外脱出アドバイスを綴るブログ。日本の奴隷的な長時間労働にうんざりしている人、ナショナリズム台頭・人口減・財政難の日本の行く末を危惧している人、協調性という名の同調圧力に耐えられない人、とにかく自分の殻を破ろうと思っている人、そんなあなたに『海外に出ること』を選択肢の1つとして提案する。

だから僕は海外に出る、さあ君も - ニートのガラパゴス日本脱出日記

ガラパゴス化している日本の奴隷的な労働環境と保守的な社会構造に適応できずに海外脱出したニートが海外視点で綴るブログ

仕事なんかクソだろ? 就活やめて日本を出よう! 奴隷やめて海外に出よう! 語学を学び世界に出よう! 「仕事なんてクソだろ」が売り文句の「ニートの海外就職日記」に影響を受けた、あるニートのブログ

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コミュニケーション能力という曖昧な言葉しか使えない社畜の方がコミュ力不足

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「コミュニケーション能力が大切だ」と言われて久しい。就活で成功を収めるためは必須の能力とされている。しかし、「コミュニケーション能力」とはいったい何だろうか? 何を持ってコミュニケーション能力があると判断するのだろうか?

コミュニケーション能力とは?

「コミュニケーション能力」という言葉は辞書には載っていなかったので、「コミュニケーション」という言葉の意味を引用してみよう。

コミュニケーション [communication]
ことば・文字・身振りなどによって、意思・感情・思考・情報などを伝達・交換すること。「─をはかる」
明鏡国語辞典©Taishukan, 2002-2008

「コミュニケーション能力」とは、その名の通り「コミュニケーションする能力」である。要は「相手の言動を理解し、それに対して適切な応答をする力」だ。これさえできていれば、コミュニケーション能力があるといえよう。

英語がほとんど分からなくても、知っている単語だけを並べて、身振り手振りで相手に理解されたのならば、コミュニケーションが取れている。

人間に限らず、動物だって同じだ。飼い主が、飼い犬に「ボールを持ってこい」と指示して、犬がボールをくわえ飼い主のところに戻ってくる。飼い主は犬を褒め、犬はしっぽを振って喜ぶ。立派にコミュニケーションが取れている。

つまり、人間を含めて動物というのは、誰しもコミュニケーション能力を持っている

コミュ力が高いか低いかって

こんなことを書くと、社畜が「そんなことは当たり前だ。問題はコミュ力が高いか低いかだ!」と言いそうだ。じゃあ、私は「『コミュ力が高い・低い』ってどういう状態のことを指すのか? 具体例を挙げて、分かりやすく説明してください」と聞き返したい。

この質問に、誰もが納得いく答えを出せる人はほとんどいない。理由は、「コミュニケーション能力」という言葉が指す意味があまりに広範すぎるからである。Wikipediaにもコミュニケーション能力という項目があるが、非常に冗長であり、要点が掴みづらい。

ネットでよく使われる「コミュ力がある」といえば、何となくリア充(社交性があり友達が多く実生活が充実している)を連想させる。しかし、就活や職場におけるコミュニケーション能力は、極めて曖昧で分かりにくい。これは、以前に書いた「空気読め」という言葉にも当てはまる。

曖昧すぎるコミュニケーション能力の定義

ありとあらゆる対人スキルは、良いものも悪いものも、コミュニケーション能力の高低に置き換えることができる。

  • プライベートな交友関係を広げられる「社交性」。
  • 難しい物事をかみ砕いて説明して、より多くの人に理解させる「説得力」。
  • 正しい敬語が使えたり、文章を読んで内容を理解できたりする「国語力」。
  • 初対面の人と打ち解けるのが苦手な「人見知り」。
  • もじもじしていて、はっきり決断できないの「優柔不断」。

コミュニケーション能力云々と言わずに、「気さく」「はきはきしている」「無口」「引っ込み思案」「語彙が乏しい」「ビジネスマナーを知らない」と具体的に表現すればいいではないか。

コミュニケーション能力

「コミュ力が重要だ」と叫ぶ社畜ほどコミュ力がないから、こういう表現ができないのか。(笑) コミュ力とは、基本的には「伝える力」なのだから、上の画像のように何でもかんでもコミュ力とひとくくりにすることは、「伝える力がない」=「コミュ力がない」ということ。

Amazonで「コミュニケーション能力」と検索すると、関連本が多数出てくる。それだけ暗中模索している人が多いのだろう。

企業は万能人間を求めているのか?

コミュニケーション能力を重要視する企業が求めている人物像は、あらゆる対人スキルを兼ね備えた人なのだろうか? 仮にそうだとして、そのような万能人間が本当に必要なのだろうか?

現実には、

  • 飲み会では普通だけど、大勢の聴衆の前でスピーチするのは苦手な人
  • セールストークはまるでダメだけど、女を口説くのは上手な人
  • 最初は人見知りだけど、一度仲間になれば、すごく明朗闊達な人
  • 普段から無口だけど、国語力が非常に高く、説得力ある資料を作れる人

といったように、いろんな人がいる。

従事する業務によって、重視される対人スキルは異なる(医者・介護士・運転手・プログラマー・教師・店員……など職業によって必要な対人スキルは全然違う)のだから、コミュニケーション能力と十把一絡げにするのではなく、業務に必要な対人スキルを具体化すればいいではないか。

  • クライアントが外国人なので、TOEIC860点以上の英語力がある人
  • 富裕層のお客様が相手なので、正しい敬語が使え、接客マナーが高い人
  • 幅広い商品知識を持ち、詳しくないお客様に対して、分かりやすく説明できる人

といったように。

秀才で発想力豊かだけど、ちょっと口下手という人が、「コミュニケーション能力不足」というだけで、落とされるのあれば、大きな機会損失につながっている。

歴史上、偉人には変人が少なくないけど、日本特有のコミュニケーション能力至上主義が、日本発のイノベーションを妨げているのかもしれない。

コミュニケーション能力─曖昧模糊を好むいかにも日本的な言葉

それにしても、コミュニケーション能力は、はっきりさせることを嫌い、曖昧であることを好むいかにも日本的な言葉だなぁとつくづく思う。

よく外国人は、「日本人は曖昧な言い方に終始して、何を考えているのか分からない」「言っていることと、実際の行動がまるで違う」「相手に、自分が考えていることを推理させるような物言いをする」と言う。

「コミュ力コミュ力」とコミュニケーション能力を重要視している国が、外国人からこんなことを言われるのは、何とも滑稽である。協調性と同じように、「コミュニケーション能力」もガラパゴス化(Only IN Japan=日本だけ)しているのか。

コミュニケーション能力などという、あまりに曖昧すぎて意味不明になっている言葉を使わないことが、国際社会における真のコミュニケーション能力なのではないかと私は思う。

適応の条件 (講談社現代新書)

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