だから僕は海外に出る、さあ君も

「日本って何か変だなぁ」という疑問を胸に、思い切って海外脱出した著者が、海外からの視点で日本の社会問題や海外脱出アドバイスを綴るブログ。日本の奴隷的な長時間労働にうんざりしている人、ナショナリズム台頭・人口減・財政難の日本の行く末を危惧している人、協調性という名の同調圧力に耐えられない人、とにかく自分の殻を破ろうと思っている人、そんなあなたに『海外に出ること』を選択肢の1つとして提案する。

だから僕は海外に出る、さあ君も - ニートのガラパゴス日本脱出日記

ガラパゴス化している日本の奴隷的な労働環境と保守的な社会構造に適応できずに海外脱出したニートが海外視点で綴るブログ

仕事なんかクソだろ? 就活やめて日本を出よう! 奴隷やめて海外に出よう! 語学を学び世界に出よう! 「仕事なんてクソだろ」が売り文句の「ニートの海外就職日記」に影響を受けた、あるニートのブログ

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日本人に欠けている「働くこと=商取引」という考え方

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今の日本を見ていると、そもそも「働くこと」の本当の意味を理解していない人が非常に多いように感じる。今回の記事は、「働くこと」に的を絞って書いてみる。

「働くこと」は、ただの商品売買(商取引)である。メルカリで何かを売るのと同じだ。何を売るのかと言えば、「自分の労働力」である。誰に売るのかと言えば、雇用主(企業)にである。

何度も言っていることであるが、企業が労働者の持つ労働力を商品として買い、それを使ってモノを生産し、剰余価値を生み出していく仕組みが資本主義である。

辞書から引用しておこう。

しほん‐しゅぎ【資本主義】〘名〙
生産手段をもつ資本家が労働者から労働力を商品として買い、その労賃を上回る価値をもつ商品を生産することによって利潤を得る経済体制。キャピタリズム。
明鏡国語辞典(C)Taishukan, 2002-2008
じょうよ‐かち【剰余価値】〘名〙
賃金労働者がその労働力の価値(賃金)を超えて生産する価値。これが資本家の利潤・利子・地代などの源泉となり、資本主義生産の決定的動機となる。◇マルクス経済学の基本概念の一つ。
明鏡国語辞典(C)Taishukan, 2002-2008
  • 働く人にとって、働く(雇ってもらう)とは「自分の労働力を商品として企業に売ること」
  • 雇う人にとって、雇う(働いてもらう)とは「従業員の労働力という商品を買うこと」

これ以上でもこれ以下でもない。

すべての商取引は契約である

では、商取引とは何だろうか? 売買契約に基づいて行われる取り引き行為である。コンビニでドリンクを買うのも、スマホアプリに課金するのも、メルカリで服を売買するのも、すべて売買契約に基づく取引である。売買契約は法的契約である故に、何らかの瑕疵があった場合、法律上の賠償責任が生じる。

そして、すべての役務の提供は契約した内容に基づく。契約にないことは求めないし、求められても応じる義務はない。

例えば、家のリフォームに来た工事担当者に、「ちょっと買い物行ってくるから子守しといて」とは言わない。家庭教師に「ついでに風呂掃除とお洗濯してね」とも言わない。そんなことを言えば、十中八九「私の仕事じゃないので」「それは契約にないでしょう」と断られる。それと同じだ。

リフォーム業者の仕事は、リフォームという役務を提供することである。家庭教師の仕事は、勉強を教えることである。

契約に基づいて役務を提供し、その対価を支払う─それが売買(商取引)である。

もし、契約という概念がなければ、世の中はめちゃくちゃになっているだろう。

「働くこと」に話を戻せば、労働も「労働力」という商品を企業と売買する商取引である。労働者にとって会社は、会社にとって労働者は、ただの取引相手に過ぎない。

働くこと=商取引

ガラパゴス化している日本の働き方

それにもかかわらず、契約という概念があやふやで、長時間労働やサービス残業などの理不尽が当たり前のようにまかり通っているのが、日本の労働環境だ。

なぜ「労働」になったとたんに、理不尽がまかり通るのだろうか?

  • 人間として成長させてくれる??
  • 生きがい??
  • 尊いこと??
  • 辛いことに我慢してこそ……??

完全に洗脳されているとしか言いようがない。ここまでくれば、「労働教」とでもいうべきカルト宗教か、「労道」という修行なのだろう。

修行において、写経をフリック入力で作ったり、寺の廊下をルンバに掃除させたり、ポテチ食いながら説法を聞いたりすることは許されない。「辛いことに耐えることで、人間としてより高みを目指す」のが修行なのだから。

※ 実際、新人研修の一環として寺で修行するケースもある。

日本と海外の「働くこと」の考え方

日本と海外の「働くこと」の考え方

日本では、働く事に対する意識のあり方がガラパゴス化している。

労働以外では、「契約に基づく取り引き」がちゃんとできている

メルカリで売るとき、相場が3万円の商品に「1万円まで値下げできませんか?」というコメントをもらうと、ほとんどの人は断る。メルカリに限らず、あらゆる商取引で、条件面で折り合いが付けられなければ、最初から取引はしない。契約成立後でも、契約通りに役務が提供されなければトラブルになり、場合によっては裁判になる。多くの人は「理不尽でも耐えることで人間として成長できる」なんてことは微塵にも感じない。なぜ「労働」だけ特別なのか理解に苦しむ。

「働き方改革」は「働くこと=商取引」という意識改革から

今、日本では「働き方改革」が取り沙汰されているものの、今ひとつうまくいっていないような印象を受ける。

就職するとは、会社と結婚して家族になることでもなければ、お寺に出家することでもない。会社に、労働契約に基づいて労働という役務を提供し、その対価として賃金をもらう─会社とそういう商取引の契約をすることだ。

働くことの意味を理解せずして、真の働き方改革なんて実現できない。

止まらない人口減に対応して、外国人労働者を受け入れるにしても「働くこと=契約」という考え方に基づいて対応することが求められる。職務内容は曖昧だわ、長時間働かされるわ、残業代はもらえないわ、休暇は取れないわ、抗議したら「嫌なら辞めろ」と言われるわでは、多くの外国人は日本で働きたいとは思わないだろう。

ネット通販やメルカリで何かを買うとき、出品者の評価が低く、評価コメントが「約束を守らない」であれば、取り引きを敬遠するのと同じように。

私たち日本人は、「働くこと」の意味を、もう一度原点に立ち返って、考え直してみるべきだろう。

働き方の問題地図 ~「で、どこから変える?」旧態依然の職場の常識

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©2018 だから僕は海外に出る、さあ君も by 佐野由自