だから僕は海外に出る、さあ君も

「日本って何か変だなぁ」という疑問を胸に、思い切って海外脱出した著者が、海外からの視点で日本の社会問題や海外脱出アドバイスを綴るブログ。日本の奴隷的な長時間労働にうんざりしている人、ナショナリズム台頭・人口減・財政難の日本の行く末を危惧している人、協調性という名の同調圧力に耐えられない人、とにかく自分の殻を破ろうと思っている人、そんなあなたに『海外に出ること』を選択肢の1つとして提案する。

だから僕は海外に出る、さあ君も - ニートのガラパゴス日本脱出日記

ガラパゴス化している日本の奴隷的な労働環境と保守的な社会構造に適応できずに海外脱出したニートが海外視点で綴るブログ

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『千と千尋の神隠し』に見るカオナシと化した現代日本人

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今夜(2017年1月19日午後9時)、日テレ系で宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』(スタジオジブリ)が放映される。

この作品が劇場公開されたのは、新世紀の余韻がさめやらぬ2001年夏である。当時は、今のようなスマホはなく、まだ機能が低いガラケー最盛だった。光回線やADSLなどの高速通信も普及しておらず、PCを使ってネットを使う層も限られていた時代だ。政治の世界では、小泉純一郎が首相の座について間もない頃だ。

当時はまだ、リア充・ぼっち・炎上・引きこもり・ニート・ブラック企業といった言葉は存在しなかった。言葉の指すものはあったにせよ、今ほどに可視化されていなかったのだ。

宮崎駿監督は、そんな時代に、まるで予言していたかのように、日本人の本質を見抜き、アニメ映画という形で寓意を込めて送り出した。『千と千尋の神隠し』のテーマこそ少女の成長だが、その背景には、アイデンティティーを喪失した若者や、汚い大人たちの姿がある。そういったものがあるからこそ、千尋の成長がより際だって見える。

湯婆婆に見るブラック企業経営者とエゴ親

湯婆婆は、油屋の経営者としての側面と、坊の母親としての側面の2つの側面がある。

経営者としては、がめつく、そして冷酷だ。傷ついたハクを「もうその子はもう使い物にならないよ」と容赦なくシューターに落として殺そうとしているところからも、その冷酷さがうかがい知れる。従業員を酷使し、過労死や過労自殺がでることをいとわないブラック企業経営者とそっくりである。

その反面、息子である坊に対してはすこぶる甘い。ばい菌がいるからと外に出そうとしない。(「こんなところにいた方が病気になるよ」と千尋に言われる) ネズミに変えられた本物の坊にも、坊の偽者にも気付かない。坊の方も、湯婆婆と銭婆の区別が付かない。(物語の最終盤において、千尋はこれらと対比するかのように、ブタの中に両親がいないことを見破る) 終盤に坊が一人で立っている姿を見て驚く。独り立ちさせるべきで子を、いつまでもぬくぬくとした部屋に留め置き、子もそういう環境に甘える。子離れできない親、親離れできない子。現代の親の姿、子の姿と重なる。

※ 子供が自立できない要因の1つとして、格差拡大が挙げられる。格差が拡大しているのは事実だが、昨今の日本を見ていると、モンスターペアレントやエゴイズム(他人に不寛容)な親は確実に増えている。初詣ベビーカー自粛騒動はその一例だろう。

カオナシという日本人

作中にカオナシという印象的なキャラクターが出てくる。最初は非常に大人しいのだが、人や物を飲み込み続けるうちに醜い化け物へと変貌し、手が付けられなくなる。

カオナシ(顔無し)という名前、金で他人の心を操ろうとする、他人を取り込まなければしゃべれない、皆からちやほやされて傲慢に振る舞う、思い通りにならなければすぐにキレる、そして……ひとりぼっちで居場所を求めている。千尋から「おうちはどこなの?」「家族はいないの?」と言われた時、図星を指されたかのように「いやだ、いやだ」「さみしい、さみしい」と言いながら取り乱している。

宮崎駿監督も言っているように、日本人の姿そのものだなぁと私は思った。

金を払っている方が偉いと言わんばかりに傲慢に振る舞う客、気に入らないことがあれば瞬間湯沸かし器のごとく炎上させるネット民、「名無し」に代表される匿名という仮面をかぶった人、「リア充」「ぼっち」など孤独を連想させる言葉、自分の言葉ではなく他人の言葉ばかりを集めたまとめサイトが蔓延しているネット……などを見ていると。

私たちは不思議の町へ迷い込んでいる

今の日本を見ていると、多くの人が不思議の町へ迷い込み、そこでアイデンティティーを失い、元の世界に戻れない状態が続いているように思う。

この物語の鍵となるのが名前だ。名前を忘れると元の世界に戻れなくなるという設定がある。名前とは、その人を表すアイデンティティーである。顔もまた、その人を表すアイデンティティーである。名前を奪われる、顔が無いというのは、その人のアイデンティティーが無いに等しい。

自分が何者であるのかを、当の自分自身がよく分かっていない。自分はどういう人間なのか、自分はどういう人生を送りたいのか、自分がいるべき場所はどこなのか、自分にとって幸せとは何か、自分に何ができるのか……。そういったことを見失っており、ただ何となく生きているだけ。そんな人が少なくないように感じる。

興行収入300億円が語るもの

『千と千尋の神隠し』は国内興行収入300億円を突破した唯一の作品だ。この額は、他の宮崎駿監督作品と比較してもずば抜けて高い。そして、昨年のスタジオジブリ総選挙では第1位に選ばれた。劇場公開から16年経った今なお、色あせた感じがしない。この裏には、多くの日本人の心に刺さるものがあったからであろう。

他のジブリ作品と同様、この作品はテレビでも幾度となく放映されている。ストーリーはほとんどの人が知っているだろう。これからテレビで観る人がいれば、作品に込められたメッセージ性を感じながら、自分がカオナシになっていないか、湯婆婆になっていないかを、名前を奪われたままになっていないかを見つめ直す機会なのではないかと思う。

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©2018 だから僕は海外に出る、さあ君も by 佐野由自