鳥かごの中と外、あなたはどちらを選ぶだろうか?
今ほど、「生きる」ということが重要であるはずなのに、それが意識されていない、あるいは忘れかけられている時代はないのではと、ふと思った。今年最後の日は、より原始的な「生きる」を主題に書いてみる。
「生きること」が大変な時代に再びなりつつある
生きることの難易度は、生まれ育った国や時代、周辺環境など当人の力ではどうすることもできないによって大きく左右される。
80年〜100年前の日本に生まれたならば、生きること自体に相当な苦労が伴った。
戦争が終わり、日本が成長軌道に乗ったか乗ろうとしている頃に生まれた多くの人は、生きることはさほど労しなかった。スマホもコンビニもなく、今日ほどの便利さはなかったものの、周りと同じようにしているだけで、ベルトコンベアに乗っているかように、身の丈に合ったどこかの会社に就職でき、誰かと結婚できた。「一億総中流社会」と呼ばれた時代だ。その後に訪れるバブル期には、企業の方から就活生を海外旅行や温泉に連れて行ったそうである。
現在はどうだろうか? 高度に発達したテクノロジーの恩恵を享受し、物質的には何不自由ない生活を送っている人が多い反面、生きづらい社会であると私は思う。
- 正社員になれなくてつらい。正社員だけど労働時間が長すぎてつらい。
- 結婚できなくてつらい。既婚だけど妻子とうまくいかなくてつらい。
- 中世で思考停止している警察・検察・裁判所に濡れ衣を着せられてつらい。
- 差別されていてつらい。差別せずにはいられない自分の状況がつらい。
- 奨学金(という名のローン)が返せなくてつらい。
問題点を挙げていけば枚挙に暇がない。
日本が抱える多くの問題点のうち、私のブログでは「働き方」に焦点を当てて、日本を批判してきた。
社会はあまり変わらなかった
「ブラック企業」という言葉が初めて登場したのは10年前にさかのぼる。海外ニートさん(シンガポールに海外就職したブロガー)が、「社畜」という言葉を連呼して一部ネット界隈で喝采を浴びたのも、かれこれ10年前だろう。
で、長時間労働は減ったのだろうか? ブラック企業は減ったのだろうか?
答えは否である。電通の事件を見る限り、とても減ったとは思えない。では、何が変わったのか?
「ブラック企業」という言葉が一般的になった。そこから派生して、ブラックバイトやブラック部活という言葉も登場した。一部で「脱社畜」がブームになった。
つまり、10年という歳月を経て、ようやく「日本の働き方は少しおかしいのではないか」ということが、世間に少しだけ認識されるようになったのだ。それでも、まだまだ抵抗を示す人が少なくない。中高年を中心に「働くことこそが人生だ」という風潮は残っている。精神論・根性論も相変わらず幅をきかせている。脱社畜の流れは大いに結構なことだが、自分が働く立場にいる時はワークライフバランスを求めながら、金を払う立場になった途端に「俺は客だぞ」と言わんばかりに傲慢に振る舞うケースはさほど変わっていない。
10年間でこの程度だ。ゲーム、携帯電話やAIといったテクノロジーが、ここ10年で別次元の進歩を遂げたのとは裏腹に。
日本で真のワークライフバランスが定着するのは一体いつなのだろうか、と考えただけで気が遠くなる。
社会はあまり変わらないだろう
そんな中、安倍晋三首相は、一億総活躍社会を旗印に、「働き方改革を断行する」と宣言している。しかし、私は前途多難だと思っている。トップが「こうします、ああします」と言っただけで、立ちふさがる障害が自動的に取り除かれ、目標に向かって一直線に道が開かれるということはないからだ。
改革によって既得権益を失う人や集団の反対、時に身内である与党議員の反対もあるだろう。もし、数の力に物を言わせて強行採決を繰り返せば、国民の支持率は急落し、たちどころに死に体になってしまう。
※ 安倍晋三首相は狡猾なので、選挙までの期間を織り込みながら、強行採決と野党との融和を使い分けている。
説得し、説得し、説得し、譲歩し、説得し、譲歩しの繰り返しだ。1つ1つ問題を取り除いていかなければいけない。10年、20年、30年、50年、100年……。何世代にも渡る途方もない時間がかかる。
オバマ大統領の医療保険制度改革(オバマケア)は、アメリカでは画期的だといわれているが、成立に至るまでに紆余曲折があった。多くの先進国にとって当たり前な国民皆保険制度も、アメリカでは当たり前ではない。歴史的な経緯があるとはいえ、これができるまでに半世紀以上もかかった。(トランプ次期大統領は一部を除き撤廃を表明している)
※ アメリカの医療保険の問題点を詳しく知りたければ、マイケル・ムーア監督の「シッコ」(Sicko)というドキュメンタリー映画を見るとよい。
社会のあり方が10年、20年といった短期間で変わることはない。50年、100年といった非常に長い時間がかかる。その変わり方も、テクノロジーのような不可逆的な変わり方ではなく、3歩進んで2歩下がるような変わり方だ。そして、現在は後退局面にあるように思う。
以下のグラフは、日本の100年単位の人口推移である。人口が変化しているのは、何らかの大きな要因があることが見て取れる。グラフでは20世紀前半にわずかに減少しているが、原因はもちろん戦争である。これを見ていると、私たちは壮大な歴史のストリームの中を生きているんだなぁと実感する。(人口減が必ずしも後退とは限らない。現在の先進国においては、成熟したとも言える。ただ、日本の減少率の高さは問題だ)
それでも、生きねば
今よりもずっと生きることが大変だった時代、洋の東西を問わず、今以上に理不尽なことがたくさんあった。中世における魔女狩りや宗教裁判、近代のホロコーストなどだ。
私たちは、中世の魔女狩りを野蛮だと感じ、「そんな時代に生まれなくて良かった」と思っている。同様に、おそらく未来人も、私たちの今生きている社会のあり方を野蛮だと感じ、「そんな時代に生まれなくて良かった」と思うだろう。それでも、古い時代を生きる人たちは必死に生き、私たちの生きる世界の土台を築いた。同様に、今の時代においても、私たちは生きねばならない。
私たち人類は、鳥かごの外を選んだのだから。