今の日本を俯瞰していると、「他人様に迷惑をかけるべからず教」なるものがはびこっている。「他人様に迷惑をかけてはいけない」は、一見もっともらしい理屈である。しかし、突き詰めていくと、不寛容・不自由でギスギスした世知辛い世の中になっていく。
「迷惑をかけるな」の問題点
生きていれば、多かれ少なかれ他人に迷惑をかけてしまうことになる。そもそも迷惑をかけずに生きること自体が不可能である。
いくつか例を挙げよう。
- 風邪を引いて会社を休めば、同僚・上司・取引先など多方面に迷惑をかけてしまう。だからといって、生身の人間である以上、風邪を引かないことは不可能だ。どれだけ体調管理をしていても引くときは引く。
- 子供を産むと、泣き声で近隣に迷惑をかけてしまう。ベビーカーを使って外出すれば、歩道・駅・車内・商業施設など様々な場所で多くの人に迷惑をかけてしまう。
- 身体に障害がある人が、車椅子を使ったり、介助犬を連れたりして外出すると、行く先先で迷惑をかけてしまう。
- 歳を取って、認知症になったり、寝たきりになったりすれば、家族や近隣に迷惑をかけてしまう。
もし、「迷惑をかけるな」と言うのであれば、それは「生きるな」と言っているのに等しい行為だ。
迷惑をかけない社会の行く末は地獄だ
「迷惑かけるべからず教」が蔓延していくと、どういう社会になっていくのだろうか? 何をするにも常に人目を気にして、少しでも他人に迷惑をかける可能性があれば控えなければならないようになる。自分が迷惑をかけることを恐れて手控えるようになると、他の人の些細な行動さえ許せなくなり、「俺は(迷惑をかけないために)我慢したのに、お前は何だ!?」という負の同調圧力が働くようになる。そういうことが社会全体に広がっていくと、ものすごく不寛容で息苦しい社会になっていく。
- 「俺は38度の熱があったけど、休むと迷惑がかかるから無理して出勤したんだぞ。それに比べて、お前は何だ!? タクシー使っても出勤しろ」
- 「私はキャリアのために結婚・出産をあきらめたのよ。それに比べて、あなたは何よ!? どれだけ私たちに迷惑かけてるか分かってるの?」
- 「途中で原発再稼働反対のデモがあったよ。うるさいし、通行の邪魔だし、迷惑以外の何物でもないよな。共謀罪を恣意的に解釈して逮捕しろよ。そのための法律だろ?」
- 「この前、レストランに行ったけど、盲導犬が隣にいたよ。迷惑だよなぁ」
- 「車椅子って駅とか電車の中とかではマジ邪魔。車使えよ。迷惑考えろつーの」
- 「○○駅で人身だってさ。会社遅れるじゃねぇか。死ぬときまで迷惑かけんな」
このように「迷惑かけるべからず教」がはびこる社会は、ものすごく息苦しい。そして、その先に待っているのは、人間が人間らしく生きられない地獄のような世界だ。
また、「迷惑かけるべからず教」がはびこる社会では、新しいことに挑戦しようとする人が現れてきにくい。なぜなら、新しいことに挑戦することは、常に失敗リスクがつきまとうからだ。失敗すると迷惑を被る人がたくさんいる。「失敗したら迷惑がかかるから」と何もしないと、当然そこからはイノベーションは生まれてこない。
大切なことは「思いやり」を持つこと
では、「他人のことなどお構いなしに自由勝手に振る舞っていいのか!?」と言われればそれは違う。
『自由論』(ミル著)によれば、「自由」とは、他者の功利を損なわずに自身の功利を追求する自由である。この場合、功利の衝突が問題になってくる。例えば、「自由に表現したい」と「名誉をプライバシーを守りたい」といった具合だ。こういうときは、お互いが相手を思いやり、双方が納得できる着地点を見つけることが重要になってくる。この相互の調整こそが、日本国憲法にも書かれている「公共の福祉」である。
ちなみに自民党の改憲案では、「公共の福祉」がすべて「公益及び公の秩序」に変えられている。これでは、「お国に迷惑をかけるな」「世間様に迷惑をかけるな」と言っているようなものだ。この改憲案がそのまま改憲項目として発議される可能性は低いが、自民党の本性が垣間見える。こんな政党が政権与党として相応しいかどうか、私たちは今一度考えてみる必要がある。
私が「迷惑かけるべからず教」の呪いにかけられていた頃の話
欧米のスーパーマーケットはベルトコンベア式である。レジで精算する時、客は買い物カゴやショッピングカートから商品を1つずつ取り出し、ベルトコンベアの上に載せていく。前後の人との商品を区別するために、長細いプレートを置く。座っているレジ係がペダルを踏み込むと、そのベルトコンベアが動き、レジ係がバーコードを次々と通していく。バーコードスキャンが終わった商品から、買い物客がその場で袋詰めしていく。袋詰めが遅いと、後ろの人は待つことになる。私は、日本のようにカゴからカゴへ入れる方式の方がいいのにと思っていた。「袋詰めに手間取って後ろの人に迷惑をかけてはいけない」という思いが心の奥底にあったのだろう。しかし、周りを見てみると、私のように焦っているとみられる人は皆無だった。それどころか、レジ係の人と談笑しながら、ゆっくりとしたペースで袋詰めをしている人もいた。
友人に話すと、大笑いされ「考えたこともなかったよ。もちろん、後ろの人を困らせてやろうとわざと遅くするのは論外だけど、そうじゃないんだから他人のことにそこまで気を遣う必要はないよ」と言われた。
今思うと、あの時は「迷惑かけるべからず教」のドグマに毒されていたのだと思う。私を束縛していた「迷惑かけるべからず教」の足かせが取れたとき、まるで洗脳から解き放たれたように心が軽くなった。
迷惑をかけないために……
「思いやりが大事だ」といくら声を大にしても、ここまで「迷惑かけるべからず教」がはびこっている日本ではなかなか難しい。では、開き直って、迷惑をかけないための最大限の努力をしようではないか。それは何か? ブログで何度も言っているように、海外に出ることである。
- 有休を取られたら迷惑なんでしょ?
- 残業しない人は迷惑なんでしょ?
- お上のやり方に口を挟む人は迷惑なんでしょ?
- 子供がいる女性は迷惑なんでしょ?
- イノベーションに挑戦して失敗したら迷惑なんでしょ?
ということで、優秀なあなた、意欲あふれるあなた。「迷惑かけるべからず教」がカルトのごとくはびこる日本なんかさっさと棄てて、海外に脱出しよう。成熟した民主主義、すばらしい労働環境と研究開発環境、多様性を尊重する自由な風土、失敗ややり直しに寛容な社会があなたを待っている。
- 作者: ジョン・スチュアートミル,John Stuart Mill,斉藤悦則
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2012/06/12
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 149回
- この商品を含むブログ (9件) を見る