だから僕は海外に出る、さあ君も

「日本って何か変だなぁ」という疑問を胸に、思い切って海外脱出した著者が、海外からの視点で日本の社会問題や海外脱出アドバイスを綴るブログ。日本の奴隷的な長時間労働にうんざりしている人、ナショナリズム台頭・人口減・財政難の日本の行く末を危惧している人、協調性という名の同調圧力に耐えられない人、とにかく自分の殻を破ろうと思っている人、そんなあなたに『海外に出ること』を選択肢の1つとして提案する。

だから僕は海外に出る、さあ君も - ニートのガラパゴス日本脱出日記

ガラパゴス化している日本の奴隷的な労働環境と保守的な社会構造に適応できずに海外脱出したニートが海外視点で綴るブログ

仕事なんかクソだろ? 就活やめて日本を出よう! 奴隷やめて海外に出よう! 語学を学び世界に出よう! 「仕事なんてクソだろ」が売り文句の「ニートの海外就職日記」に影響を受けた、あるニートのブログ

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クリスマスに「リア充死ね」と言って心を閉ざしても幸せにはなれない

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クリスマス今日はクリスマスである。日本でクリスマス(イブ)と言えば、「カップルの日」というのが根付いているが、海外では家族と静かに過ごす日だ。イルミネーションで彩られたそれまでの華やかさと打って変わって、店もレストランも休み、鉄道やバスも止まり、街はゴーストタウンさながらの様相を呈する。日本の元日に近いかもしれない。ただ、家族であれ、恋人であれ、「大切な人(たち)と過ごす特別な日」という認識は共通する。

日本のクリスマスはLEDみたいだと、ふと思った。明るくて、きらびやかで、省エネなのに、暖かみがないところがLEDそっくりなのである。鮮やかなイルミネーションとは裏腹に、精神的な充足感や幸福感が得られていない人が非常に多く見受けられる。事実、この時期には「リア充死ね」「クリスマス終了」といった言葉がネット上で吹き荒れ、例年「クリスマス粉砕デモ」が行われる*1

※ 最近は、SNSでの過剰なリア充自慢投稿がうざいという向きもあるが、元来は、リア充でない人(非リア)が、リア充(友人や恋人に現実の世界の生活が充実している様をいう)に対する嫉妬心から生まれた言葉だ。

このことは、「リア充になりたい」という願望があるにもかかわらず、なれない人がいかに多いのかを物語っている。

日本では対人関係構築が難しい

これほどまでにリア充が疎まれているのは日本だけである。もちろん、海外にもモテる・モテない、友達が多い・少ないというのはある。しかし、日本のように「リア充」「便所飯」「お一人様」「ぼっち」「引きこもり」といった言葉が取り沙汰されるほど、孤独に悩んでいる人は多くはない。いたとしても、希有な例である。

※ 「ニート」(NEET)という言葉は英国生まれだが、就職の意思が無い無業者のことで、自分の殻に閉じこもっているという意味はない。「引きこもり」は"hikikomori"として、オックスフォード英語辞書にも掲載されている。

私がかなり以前、あるバイトに採用されたとき、初日は数時間のオリエンテーションであった。同日から勤務開始となる人が他にも2人いたのだが、私語禁止ではないにも関わらず、誰1人として会話を交えなかった。会社の担当者と必要最小限の会話をした程度だった。このことを外国人に話すと、目を丸くして驚いていた。海外では、エレベーターと乗り合わせた見知らぬ人とでさえ、世間話をすることは珍しくはない。それが当たり前の国の人にとっては、これは驚き以外の何物でもないのだ。

日本は、対人関係を構築することの難易度がずば抜けて高い。これには、日本の文化、時代背景や家庭環境などの要因がある。日本では自己責任論が強いが、全部が全部個人のせいではない。とは言っても、このままでいいはずがない。

あなたを必要としている人は必ずいるはず

あなたを必要としている人、あなたに興味を持っている人、あなたに好感を抱いている人は、あなたが想像している以上にいる。ところが、貝のように自分の殻に閉じこもっていると、せっかくのチャンスを自ら閉ざしていることになる。さらに、「誰も僕なんて…」「私なんか…」「リア充が」と卑屈になればなるほど、状況はますます悪化する。

店に例えてみよう。どれだけ店構えが立派でも、どれだけ商品が安くても、どれだけ品揃えが良くても、店の入り口に「CLOSED」(閉店中)という看板が垂れ下がっていると、客は入ってこない。入りたくても、入れないのだ。人間関係についても同じだ。あなたのことを「感じ良さそう」「誠実そうだ」と思って、仲良くなることを意図して近づいても、あなたが「CLOSED」と言わんばかりに心を閉ざしていると、相手は去ってしまう

ネットを使うと、自分と同じような境遇や価値観を持つ人と簡単に繋がる。残念ながら、ネットでは上向きの声よりも、下向きの声の方が大きい。(前回の記事参考) そのため、ネット特有の空気に呑まれる形で、下へ下へと向かっている現象が目に付く。そういう声に流されるべきではない。私は、そういうのは自分自身に対する呪いでもあると思う。

呪いの時代 (新潮文庫)

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自分のパーソナリティを変えることは容易なことではないし、変える必要があるとも思わない。(シャイな人がイケイケな人になる必要はない) しかし、世の中に対する偏った見方、自身に対する卑下した見方を変えることはできるし、変えていく方が良い。どういうように変えるのか。

※ 日本という国では、同調圧力が強かったり、「異」に対する拒絶反応が強かったり、保守的な価値観が根強かったりするのは事実だ。それらが人の結びつきを阻害していることもある。だから、そういう環境になじめない人は、環境を変えることをお勧めしたい。転職、上京、地方移住、海外脱出…etc。

あなたは誰かを愛することができる。あなたを愛してくれる人もいる。

もし、誰かを愛するということが、何万人に1人という割合でないと成立しないほど確率が低いことであれば、人類はとっくに衰退している。

今の日本を見ていると、愛されること(経済的に成功したり、外見を磨いたりして、魅力的な人になること)ばかりが重んじられ、愛することが軽んじられているように思う。「誰も私なんかを愛してくれない」「こんな私を私も嫌い」「私はみんなが嫌い」「幸せそうな人が憎い」「リア充死ね」では、なかなか良い方向には向かない。

愛するということ

愛するということ

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©2018 だから僕は海外に出る、さあ君も by 佐野由自