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だから僕は海外に出る、さあ君も

「日本って何か変だなぁ」という疑問を胸に、思い切って海外脱出した著者が、海外からの視点で日本の社会問題や海外脱出アドバイスを綴るブログ。日本の奴隷的な長時間労働にうんざりしている人、ナショナリズム台頭・人口減・財政難の日本の行く末を危惧している人、協調性という名の同調圧力に耐えられない人、とにかく自分の殻を破ろうと思っている人、そんなあなたに『海外に出ること』を選択肢の1つとして提案する。

だから僕は海外に出る、さあ君も - ニートのガラパゴス日本脱出日記

ガラパゴス化している日本の奴隷的な労働環境と保守的な社会構造に適応できずに海外脱出したニートが海外視点で綴るブログ

仕事なんかクソだろ? 就活やめて日本を出よう! 奴隷やめて海外に出よう! 語学を学び世界に出よう! 「仕事なんてクソだろ」が売り文句の「ニートの海外就職日記」に影響を受けた、あるニートのブログ

労働・サービス残業・ブラック企業・社畜・ワークライフバランス・海外脱出・日本脱出・英語・留学・人生・恋愛・政治・社会・日本・ニート・フリーター・貧困・ネット・IT

ネット特有のドロドロした空気に食傷気味な今日この頃

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ここのところ、僕のツイート頻度もブログ更新頻度も激減している。以前は日課のようにツイートしていたが、だんだんと少なくなっていき、5月・6月は一度もツイートしていない。急に仕事が忙しくなったとか、超リア充になったからとかではない。単純に、ネット特有のドロドロした空気に食傷気味だからである。

ネットのみならず、僕たちが生きている現実の世界もドロドロしているものだが、敢えて足を踏み入れない限り、その様をうかがい知ることはできない。人間関係がグダグダな職場でも、客の目からは分からないのと同じだ。ありとあらゆるものが可視化されるようになった今日のネットは、否が応でもどろどろしたものをさらけ出す。それだけネットがみんなのものになったということであろう。良いか悪いかは別にして、少なくとも僕はそういう空気そのものに疲れてきた。

村社会以上に村社会なネット空間

「村社会」という言葉がある。村社会は、小さな村落共同体の閉鎖性を批判的に表した語だが、ネット空間は電波や光回線で繋がった仮想的な村社会といえるのではないかと思う。本音はともかく建前上は同調せざるを得ない本物の村社会と異なり、ネットの村社会は、物理的距離を超えてSNSで自分の価値観ぴったり合う人と自発的に簡単に繋がることができる。そして、本物の村社会と同様、異論の存在は認められず、村の空気に従わなければならない。異論を唱えたり、空気を読めなかったりすれば、たちどころにブロックという名の村八分にされる。そういう意味では、ネット空間は、本物の村社会より村社会なのかもしれない。

以前、マイナビが没個性なリクルートスーツを着た就活生が全員同じポーズを取っている写真入りの広告を出して話題になった。私がネットに感じる違和感とそっくり重なる。

……なんか、みんな同じ…

マイナビの広告

あるニュースが報じられ、それに対するネットの反応もおおかた予想が付く。「大量のはてブが付いていそうだなぁ」と思ったら案の定付いていたし、「付けられているコメントの内容もこうだろうなぁ」と開いてみたらやっぱりその通りだった。はてなしかり、2chしかり、知恵袋しかり、ヤフコメしかり、Facebookしかり、Twitterしかり、YouTubeしかり、ニコ動しかりである。

匿名掲示板やニュースサイトなどのコメント欄には、同じようなコメントがいくつも並ぶ。少しでも多数派やネットの空気に相反する意見があれば、大量の反対票(「参考にならなかった」票)が付き、徹底的に排撃しようとする。(安倍首相でさえ、独裁者のように自身のFacebookで批判コメントの削除をしている)

別のところでは、正義の炎をメラメラ燃やしたネット自警団が、可燃物を探し回っている。

SNSのタイムラインには、リア充自慢大会とでも言うべき大会が毎日のように繰り広げられ、多くの人がイケてる自分を演出しようと躍起になっている。

いつものメンツが、いつものように、いつもと同じようなことを延々と繰り返している。テクノロジーは日進月歩で進歩しているが、それを取り扱う肝心の人間は十年一日であまり進歩していない。昨今多発している炎上事例やネット依存症も、テクノロジーの進化に、人が追いついていないということだろう。

僕は「みんな一緒」が嫌いです

僕は、子供の頃から「他人と同じようにする」ということが苦手だった。むしろ、心の奥底で「みんな一緒はイヤ」「異でありたい」と思っていて、それが無意識のうちに行動に表れたという方が正しいかもしれない。それは今でも変わらないし、今では意識的に「異でありたい」と思っている。こんな、クラス、いや、学年に1人いるかいないかのような変わり者でも、日本全国レベルだと数十万から数百万人はいることになる。多くの人がネットやSNSを使い始め、価値観を共有できる人と簡単に繋がれるようになった。「あぁ、こういう考えって僕だけじゃなかったんだ」と安心感に包まれた。

ネットに投稿したものがイイネをされたり、ポジティブなコメントをもらったりすると確かに気持ちがいい。他方、周りが同調してくれる人ばかりに囲まれるというのも何か違うなという思いがある。

それと同時に、僕の何気ないツイートも、「ネットの声」としてひとくくりにされているのかもしれないんだとふと思った。「お手々繋いでみんな仲良しが嫌い」と言いながら、ネットの世界でみんなの中に同質化している自分に気付いたとき、安堵感と嫌悪感が交錯したような何とも言えない複雑な気持ちになった。

気が合う仲間とつるみたいという思いがありながら、あまりに気が合いすぎると今度は逆に距離を置きたくなるのだから不思議なものだ。付かず離れずが一番いいのだが、どうもネットではそういう距離感を保つことが難しい。まるで磁石のようにピッタリくっつくか、反発しあうかのどちらかである。

なんかネットに疲れた

ドロドロしたネット特有の空気に疲れてしまった。

ただ、ネット自体は非常に便利な道具なので、使うのをやめるというのは考えられない。しかし、ネットとのつきあい方を変えるというのはありなのかもしれない。(これについてはまた書こうと思う) 意識はしていないのだが、僕のコミュニティー系(SNS・BBSなど)のネットの利用頻度が減っている。

今日から7月1日。2016年も早くも半分が終わったところで、久しぶりに書いた随想的な記事。

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©2017 だから僕は海外に出る、さあ君も by 佐野由自