だから僕は海外に出る、さあ君も

「日本って何か変だなぁ」という疑問を胸に、思い切って海外脱出した著者が、海外からの視点で日本の社会問題や海外脱出アドバイスを綴るブログ。日本の奴隷的な長時間労働にうんざりしている人、ナショナリズム台頭・人口減・財政難の日本の行く末を危惧している人、協調性という名の同調圧力に耐えられない人、とにかく自分の殻を破ろうと思っている人、そんなあなたに『海外に出ること』を選択肢の1つとして提案する。

だから僕は海外に出る、さあ君も - ニートのガラパゴス日本脱出日記

ガラパゴス化している日本の奴隷的な労働環境と保守的な社会構造に適応できずに海外脱出したニートが海外視点で綴るブログ

仕事なんかクソだろ? 就活やめて日本を出よう! 奴隷やめて海外に出よう! 語学を学び世界に出よう! 「仕事なんてクソだろ」が売り文句の「ニートの海外就職日記」に影響を受けた、あるニートのブログ

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過干渉の成れの果て—打たれ弱すぎるニート・ひきこもり・草食系男子が日本をダメにする

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ニート・ひきこもり・草食系・非モテ・非リア・ぼっち・おひとりさま・便所飯 etc… これらに共通していることは、社会にうまく適応できていないということである。

社会に適応できないひ弱な大人たち

特段の事情がない限り、大人になれば、親元を離れ、自分で生活をしていくようになるのはごく自然のことである。その過程でパートナーを見つけ、結婚に至るのも普通のことだ。

ところが、今日の日本では、それが普通ではなくなっている。いい歳をしながら恋人はおろか友達すらいない、リア充を妬み、匿名のネットで悪態をつくという人が少なくない。これを「価値観の多様化」とする向きもあるが、本当にそうなのだろうか?単純に、人間が社会生活を営んでいく上で不可欠な生活力(親や政府に依存せず自分の力で生活していく力)と共生力(価値観が違う人ともうまく折り合いをつける力)が欠如している人が増えたからではないかと思う。

親離れ・子離れできない

今年(2015年)の東大入試の国語の現代文(文科・問4)を見て、私は思わずハッとした。文は、猫に関するものである。私たちが普段目にする猫は、YouTubeに投稿されるような、愛らしく人間に甘える姿だが…。

2015年度 文科・入試問題 - 国語(問四) - 河合塾

1ページ目は“見事な親離れだと思う。親も見事であれば子も見事である。子離れ、親離れのうまくいかない人間に見せてやりたいくらいだ。"で終わっている。

猫に限らず、野生動物というものはそうやって親離れ・子離れしていくものである。

翻って、人間はどうか。ニートが84万人*1、生涯未婚率が3割*2、未婚男女の親との同居率が7割*3。—成熟しているとは言い難い。

「かわいい子には旅をさせない」育て方

過保護なぜこういうことになったのか?

子供をペットのように溺愛する親が原因であるのではないか。*4 多くの専門家が異口同音に指摘している。

親が子供を溺愛するあまり、我が子が他人から叱られたり、転んだりすることを見過ごせず、ついつい口を挟んだり、手を貸したりしてしまう。親からすれば「我が子のためを思って」のことでも、結果として、子供が自立することを妨げてしまっている

かわいい子には旅をさせよ」ということわざにある通り、真に子供のことを思うなら、前述の問題文の親猫のように、時には突き放すことが大切である。挫折し、転び、傷つき、立ち直り、問題点を省みることの繰り返しで等身大の自分と向き合い、他人の気持ちが分かる一人前の人間へとなっていくのだから。

ペットの飼い犬が「いままでお世話になりましたワン」と独り立ちすれば困るが、人間の場合は、独り立ちしなければ問題である。親はいつまでも生きているわけではない。

温室で育てられ、人格形成に多大な影響を及ぼす少年時代を、苦汁をなめることなく大人になれば一体どうなるのか?答えは、言わずもがなである。

諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉

諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉

日本の労働環境も「毒親」を生んだ一因

過干渉な親は、日本に限らず欧米でも問題になっている。アメリカでは「ヘリコプターペアレント」、フィンランドでは「カーリングペアレント」と呼ばれる。しかし、ひきこもりは、hikikomoriとして日本ならではの問題として取り上げられている。*5

ひ弱な大人の原因が子供時代の親からの過干渉にあるとはいえ、親ばかりを責めるべきではない。過干渉にならざるを得なかった事情もある。

かつて、日本の家族は、子供が多く祖父母も同居する大家族であり、地域社会もよく機能していた。子供が悪さをすれば、隣保のおじさんからも怒られる。家族・学校・地域社会が一丸となって子を育てた。もし、病気でもないのに、社会に出ることを拒絶して、ひきこもろうものなら「出て行け!」と叩き出されたことだろう。

今の20〜30代の人の親世代は、働き盛りとされる時期が、高度経済成長期の終わりからバブル期であった世代である。就職や進学のため、地方から都会に出てきて、そのまま結婚して定住したケースが多い。当時は、一戸建て・核家族・サラリーマンと専業主婦という形態が標準的な日本の家庭であり、一億総中流の礎となった。このような家庭では、夫は朝から晩まで仕事、たまの休日もゴルフ・麻雀・釣りなどの会社絡みの付き合いで、育児は妻に任せっきりというケースも少なくない。さらに、妻が地域の母親コミュニティに溶け込めないとなると、ますます孤立化することになる。

仕事中毒の夫との関係は冷え切り*6、地域社会に溶け込めず、親は遠い田舎住まい…そうなってしまうと、必然的に愛情は子供へと向けられる。

『毒になる親—一生苦しむ子供』(スーザン・フォワード著)では、子供が自立して親元を離れてしまうことを恐れるあまり子離れできない母親の気持ちを描いている。

あなたがそうやって私から離れていこうとすることで、どれほど私を苦しめているのかわからないのよ。私はあなたが私を必要としてほしいの。私はあなたを失うことが耐えられないのよ。私にとってはあなたがすべてなのよ。あなたが何か間違いを犯すんじゃないかって心配でたまらないの。もし何かよくないことが起きたら私は母親として失格だってことになるじゃないの。

30にも40にもなって、定職に就けず、パートナー1人見つけられない我が子に「困ったものねぇ」と言いながら、まんざらでもなさそうな親の姿とぴったり重なる。

毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社+α文庫)

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日本の行く末は親子共倒れか

一度人間の庇護の下で育てられた動物を野性に帰すのは極めて難しい。無理に帰したところで、肉食動物の餌食にされるか、エサを見つけられず野垂れ死にする。過保護・過干渉に育てられ、生活力・共生力がない大人にも同じことがいえる。未婚者の70%(非正規雇用労働者にいたっては85%)が実家暮らしというデータがあるが、彼らが親という守護神を失ったとき、一体どうなるのだろうか?

前述の現代文の設問1は、“「なにか悠久の安堵感のようなものに打たれる」とあるが、どういうことか、説明せよ。”である。この問題の科目が国語ではなく「人生」だったら、設問は以下のようになるのだろうなと思ってしまう。

「こころ寂しい半面なにか悠久の安堵感のようなものに打たれる」とあるが、あなたの親がそうなるにように、行動せよ。

この文を読んで、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』(2001年)を思い出した。

一億総ガキ社会 「成熟拒否」という病 (光文社新書)

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©2018 だから僕は海外に出る、さあ君も by 佐野由自