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だから僕は海外に出る、さあ君も

「日本って何か変だなぁ」という疑問を胸に、思い切って海外脱出した著者が、海外からの視点で日本の社会問題や海外脱出アドバイスを綴るブログ。日本の奴隷的な長時間労働にうんざりしている人、ナショナリズム台頭・人口減・財政難の日本の行く末を危惧している人、協調性という名の同調圧力に耐えられない人、とにかく自分の殻を破ろうと思っている人、そんなあなたに『海外に出ること』を選択肢の1つとして提案する。

だから僕は海外に出る、さあ君も - ニートのガラパゴス日本脱出日記

ガラパゴス化している日本の奴隷的な労働環境と保守的な社会構造に適応できずに海外脱出したニートが海外視点で綴るブログ

仕事なんかクソだろ? 就活やめて日本を出よう! 奴隷やめて海外に出よう! 語学を学び世界に出よう! 「仕事なんてクソだろ」が売り文句の「ニートの海外就職日記」に影響を受けた、あるニートのブログ

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PC遠隔操作事件—推定有罪より推定無罪、取り調べの可視化は絶対必要

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PC遠隔操作事件は、予想外の何とも後味の悪い結末となった。後進的な日本の司法に批判的で、それゆえ被告の無実を信じていた私としては残念である。

非常に悲しい事件

手錠「真犯人からのメール」を見る限り、被告は警察と検察に強い敵意を抱いていたことをうかがい知れる。

被告は、逮捕当初から自分の取り調べの可視化を要求していた*1。近年冤罪の多発が相次いでいるにも関わらず、取り調べの可視化に否定的で、自浄能力に欠ける日本の司法に強い怒りを覚え、懲らしめてやろうと被告なりの正義感で犯行に及んだ確信犯なのだろうか。人権を軽視している日本の司法を懲らしめるために、人権を軽視する卑劣なやり方を取ったのであれば、「正義のために、正義に反した」という非常に悲しい事件である。

私が懸念していることがある。それは、この事件によって、世論が「ほら見ろ!否認するヤツは犯人だ。多少荒っぽいことをしても自白させろ!」という野蛮な方向を向いてしまうことだ。思い出して欲しい。PC遠隔操作事件では、誤認逮捕された4人のうち、2人が虚偽の供述をしていたという事実を。

「取り調べの可視化」の議論が少しずつ前進している中で、逆戻りをさせることはあってはならない。(なんか新聞の社説みたいな書き方だな ;-p)

後進的な日本の取り調べと、先進的な海外の取り調べ

日弁連のサイトに、海外の取り調べの可視化状況についてのレポートがある。短くて分かりやすいので目を通してもらいたい。

パンフレット 「海外の取調べの可視化(録画・録音)の実情」 (日弁連)

他方、日本の状況はどうなのか?痴漢冤罪を描いた社会派ドキュメンタリー映画として『それでもボクはやってない』がある。こちらもぜひ一度鑑賞してほしい。

それでもボクはやってない スタンダード・エディション [DVD]

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作中では、満員電車の中で痴漢に間違われた主人公が警察に逮捕され、取調室の中で、

刑事A「お前がやったんだろ!?」
刑事A「被害者はな、お前がやったと言ってるんだ!!」
刑事B「まぁまぁ、刑事B君も抑えて抑えて」

と、担当刑事に大声で怒鳴りつけらているシーンがある。この映画作品の特典DVDによると、実際の取り調べもあのような感じらしい。元刑事のブログにも、あのようにして自白を引き出すことが現在の警察における捜査手法として書かれている。

日弁連のパンフレットにある先進的な海外の取り調べの事例と比べると、後進的かつ不適切な取り調べと言わざるを得ない。

イタリアからも「中世」と見なされている日本の司法

日弁連のパンフレットの中に、日本の取り調べの現状について、イタリアの関係者の反応が載っている。

  • 「日本は人権規約(B規約)を批准しているのか?」(ナポリ検察庁副長官)
  • 「日本に憲法はあるのか?」(ローマのある弁護士)
  • 「日本に黙秘権はあるのか?」(ローマの裁判官)
  • 「23日間の取り調べ?それは拷問だ!」(ローマ市警察の捜査部長)
     

これは、日本の現状(弁護人の立会いも取調べの録画・録音も認められていないこと、捜査段階の身体拘束期間が最長23日間であること、その間、捜査機関は自由に取り調べができること)について説明したところ、まず返ってきた言葉です。

陽気だけど怠け者の国のイタリアにまで言いたい放題言われている。国連の拷問禁止委員会で「日本の刑事司法は中世だ」と言われて、日本側大使が「シャラップ!」と逆ギレしたことは記憶に新しいだろう。イタリアの関係者のこれらの発言も、「日本の刑事司法は中世だ」と言っているのに等しい。

日本の刑事司法が中世と言われる理由

前回のエントリーで書いたとおり、近代憲法とは、暴走しがちな国家権力を縛る法律である。近代憲法は、18世紀のフランス革命で、人権宣言を経て成立した。それ以前は中世(封建時代)である。

拷問まがいの取り調べが平然と行われている

基本的人権が尊重されておらず、黙秘権が無いに等しい

人権蹂躙がまかり通るのは権力を縛る憲法がないから

憲法が存在しない中世と同じである

∴ 日本の刑事司法は中世である

イタリアの関係者も、「日本の刑事司法は中世」と言った国連の拷問禁止委も、上記のような考え方を経て結論に行き着いたのだろう。仮にも一流先進国であるはずの日本の司法がこれとは恥ずかしい限りではないか。

“十人の真犯人を逃すとも一人の無辜(むこ)を罰するなかれ"

今回の事件で、世論は「裁判では有利だったはずの被告人が真犯人であった」「被告人は大嘘を付いていた」ことに注目するだろう。犯人が取り調べや裁判で容疑を否認するのは仕方がないことである。しかし、無実の者が、濡れ衣を着せられることは、絶対にあってはならないことだ。

推定有罪か推定無罪のどちらが大切かを問うような今回の事件であるが、道を見誤ることがあってはならない。

私は、今回の事件を期に、多くの日本人が「否認する者は犯人だ」「多少荒っぽいことをしても自白させるべき」という時代に逆行する前近代的な誤った考え方に傾かないことを願ってやまない。

冤罪と裁判 (講談社現代新書)

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©2017 だから僕は海外に出る、さあ君も by 佐野由自