今日は成人の日である。私のブログの読者には、まだ成人になっていない人、今年で成人になる人、とっくに成人になった人もいるだろう。私には、もう過去の出来事になった「成人の日」を振り返って、雑感を綴ってみた。
10年前を懐かしみ今の自分を悔やむ者は、10年後に今を懐かしむ
新成人や、まだ成人になっていない人には実感が乏しいと思うが、「学生時代にもっと勉強していれば良かった」「20代のうちにああしていればよかった」と後悔する人が少なくない。「もし、今の信念を保ったまま、学生時代からやり直せるなら、やり直しますか?」という質問への答えがイエスならば、私は自分の生き方を見直すべきだと思う。何もしなければ、10年後に「10年前にああしていればよかった」とまた後悔するだけだ。10年という長いスパンではなく、半年という短いスパンでもいい。毎日目的もなく、ぼんやりとPCやケータイとにらめっこして、ネットを散策している時間のごく一部、1日10分でもいいので、その時間を英語の学習やPCスキルの習得に当てていれば、どれほど上達していたであろうか。そう考えると、時間がすごく貴重なものに見えてくる。
夢の実現を阻む悪魔は自分の感情
新成人や新入社員といった人生の節目、あるいは年始めには、何らかの目標を立てる人が多い。しかし、その目的を達成できる人は非常に少ない。目的を立てて、それを実現させるのは決して平坦な道のりではない。それは、首相や大統領のような国のリーダーにも当てはまる。例えば、首相が「こういう政策を実行します」と言っても、そこには予算の問題、身内であるはずの与党議員の反対、国民のデモや暴動など様々な障害が立ちはだかる。実現させるには、その障害を1つ1つ取り除いていく以外に道はない。
では、私たちの前に立ちはだかる障害とは何だろうか?それは、自分自身の感情であると私は思う。自分の心に潜む悪魔のささやきである。「面倒くさいなあ」「勉強なんか嫌だなあ」(遊んじゃえよ)、「英語なんてネイティブ並じゃなくて、日常会話並で十分でしょ」「一流大じゃなくて二流大でもいっか」(そうそう)、「明日から本気出す」(本気出すなんていつでもできるよ) のような感じだ。
英語なんて勉強すれば誰でもネイティブ並になれる。一流大学だって、勉強すれば誰でも入れる。もちろん相当な勉強量とモチベーションが必要なのは言うまでもないが。帰国子女でもなければ、海外生活経験もないのにネイティブ並の英語力がある人や、一流大学を出た人は、頭がいい人ではなく、強いモチベーションを持ち、努力を惜しまなかった人だ。
時間が経つのはあっという間
あなたは「20歳を過ぎると時間の流れが早くなる」と聞いたことがあるのではないだろうか。これは、その通りである。私も実感した。実際、時が経つ早さを表すことわざが、思いつくだけでも4つある。
「時は金なり」(Time is money)
「歳月人を待たず」(Time and tide stay for no man)
「少年老い易く学成り難し」(Art is long, life is short)
「光陰矢のごとし」(Time flies like an arrow)
速く感じる理由は、「社会というものを知り、ライフスタイルも固定化されることで、インプットが少なくなり、人生のマンネリ化が始まったため」ではないかと私は思っている。
また、Twitterで下記のようなツイートを見つけた。私はまだ実感できないのだが、人間というものは、歳を取れば取るほど、新しいことを始めるのに億劫になるのではないだろうか。感性も鈍ってくるのかもしれない。
最近よく考えるのが「老いる」ということ。若いころ想像していた「老いる」というのは「いままで出来たことができなくなっていく」というものだった。でも実際には少し違う部分があった。「出来なくなる」以前に「したくなくなる」「興味がなくなる」「どうでもよくなる」という感覚がある。
— 結城浩 (@hyuki) 2014年1月10日
10年後のあなたは何をしているだろうか?
時間が過ぎるのはあっという間だ。年を取れば取るほどに、体力も知力も好奇心も衰えていく。私は以前のエントリーで「年齢は関係ない」と書いたが、早ければ早いほど良いことは間違いない。
成人の日に改めて人生を振り返って、10年後のあなたはどうしているだろうか?10年前のあなたはどうしていただろうか? なりたい自分になっているだろうか?答えがノーであれば、どうすればなりたい自分になれるのだろうか?
新成人のあなたは、10年先を見据えて、そうでない人は、10年後のあなたが10年前に戻ったつもりで、今この瞬間に行動を始めよう。
自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと (Sanctuary books)