今年は、例年になく台風や豪雨などの自然災害が多い。私が子供だった時、台風が来れば警報が出て学校が休みになると喜んだものだが、社会人にとってはまったく逆だ。休めるどころか、命懸けで出勤しなければ、社会人失格の烙印を押されるからである。
「命」よりも仕事様優先の日本人
社畜曰く、「シャカイ人なるものは、どれだけ強い台風が来ようが、警報が出ていようが、通常通り出勤するように最大限の努力をしなければならない」らしい。こういうことを聞くと、社畜は「警報」の意味を理解しているのだろうかと勘ぐりたくなる。
警報は、児童生徒が学校に行かなくてもよいお墨付きを与えるものでは決してない。
重大な災害が起こるおそれのあるときに「警報」を発表して、注意や警戒を呼びかけます。(警報・注意報の解説 - 気象庁)
警報は、あなたの生命や財産に、重大な危険を及ぼす恐れがあるということだ。
警報が発令されると、学校が臨時休校になる理由は何だろうか?答えは、至って簡単だ。児童生徒の安全を確保するためである。増水した河川に流されるかもしれない、土砂崩れに巻き込まれるかもしれない、強風で飛ばされた物に当たるかもしれない、公共交通機関がストップして立ち往生を余儀なくされるかもしれない。そんな状況で児童生徒を登下校させるわけにはいかないのは想像に難くないだろう。
これらは子供はもちろん、大人にも当てはまろう。それともシャカイ人は、「根性」という見えないバリアで守られているから安心だとでも言うのだろうか。(笑)
私は、判断力がある大人に対して、警報が発令されたら必ず休むべきと言うつもりはない。判断力がある大人だからこそ、最新情報を常に確認し、自分や家族の身の安全を第一に考えて行動するのが筋ではないだろうか。特に「経験したことがないような大雨に警戒」と事前に報道されているのであれば、何をすべきかは自ずと見えてくるだろう。
会社に無事たどり着いたとしても、自宅近辺は、避難勧告や避難指示が出るほど危険が差し迫っているかもしれないのだ。自宅で待機して、災害に備えるのが常識であろう。子供がいるのならなおさらだ。
「電車が来ない!どうなってるんだ!」と駅員に詰め寄る社畜は風物詩
電車が止まったり、遅れたりすれば、必ずといっていいほど現れるのが、「このままだと会社に遅れる!どうしてくれるんだ!」と駅員に詰め寄る社畜である。こんな社畜を相手に、「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」と低頭平身になって平謝りするしかない駅員は本当に可哀想だと思うよ。
台風が来れば、ダイヤが大幅に乱れるのは分かりきっていることではないか。沿線で土砂崩れや倒木でも発生すれば、脱線することだってある。当然、列車は速度は落とさざるを得ないし、風速計が規制値を超えたら運行停止する。速度を落とせば所要時間が延びるし、本数も減る。自然現象である台風や豪雨が、いつ収束するかなんて現代の科学技術では正確に予測できない。
それにも関わらず、嵐の中を身の危険を顧みず出勤し、途中で電車が止まっていれば鉄道会社に苦情を言うのが社畜である。もちろん、警察・消防や医師などの人命に関わる一部の職業であれば、出勤しなければならないのは理解できる。しかし、普通のサラリーマンが、嵐の中を命懸けで出勤する理由が、私には理解できない。
外国人の友達は、「レスキュー隊が身の危険を顧みず、嵐の中を人命救助に向かうのは尊敬するが、社畜が身の危険を顧みず、子供を家に残したまま嵐の中を出勤するのは、ただのクレージーだ」と言っていたよ。(笑) 私も同感。
休んでも、遅れても、早退しても文句をつける社畜
仕事様を救世主として崇めている社畜からすれば、台風が来ようが槍が降ろうが仕事様命で、いつも通りに出勤するのは当然なのだろう。もし、遅刻・欠勤・早退でもしようものなら、
- 休んだら、「台風ぐらいで休むな」「それでも社会人か」
- 電車が止まって遅刻したら、「もっと早く家を出ろ」「タクシーで来い」
- 電車が止まりそうなので早退したら、「残業しろ」「徹夜しろ」「タクシーで帰れ」
って言われるのは目に見えている。会社では、上司から責められ、同僚からは冷たい視線を浴びせられるのは必至であろう。
このように、お互いに足を引っ張り合い、「オレ達が苦労しているのに、お前が楽しているのは許せない」という負の同調圧力が働くのが日本の狂った労働環境だ。バカげているとしか言いようがない。
社畜が総力を挙げて実施している「みんなで休まずみんなで不幸になろうキャンペーン」(笑)が終わるのは、一体全体いつの日であろうか?
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